夏が終わる

 2020年になってから既に3分の2が過ぎた。何事もなければ本当は今頃東京オリンピックの余韻に日本中が浮き足立って、アスリートの驚異的な身体能力とパフォーマンスに感心した気持ちを、他の誰かと共有していたであろう人もたくさんいたはずだ。残念ながらオリンピックは来年に持ち越しとなって、実際に開催されるのかどうかは正直誰にも定かではない状態だ。ただオリンピックがあろうがなかろうが、夏には夏らしい細やかな出来事を満喫したいと毎年思う。今年は夏も暑い暑いと言いながら子育てに奔走して、そしていつの間にか終わろうとしている。

 冷房の風ではなくて、冷たい水を浴びて身体を冷やしたい。足首くらいまでの深さの川に足を浸けて、濡らしたタオルで顔を拭う。山間に流れる冷たい水は直射日光の下でも、火照った身体の熱を奪っていく。流れの途中に腰掛けられそうなちょうど良い大きさの石を見つけた。足に絡み付く水を振り払うようにしてそこまで歩いていき、ゆっくりと息を吐きながら座った。僕の目線の先まで水の流れはずっと続いていて、視界の向こうのずっと先までも続いているに違いない。やがてそれは海まで流れ着き、雨となってまた戻ってくるだろう。

 一つの大きな島ではあるけれど、ちょうど真ん中辺りで二つに別れるようにして断崖絶壁になる場所がある。絶える事のない波が毎回ほんの僅かずつ岩の表面を削っていく。どれくらいの時間がその地形にまで導いたのだろうか。僕が立っている場所も、果てしなく遠い未来には波に削られて誰も立つ事が出来なくなっているかもしれない。開けた海の向こうから来た波が岩肌に挟まれて行き場を失くし、豪快な飛沫を上げている。吹き上げる風に水の粒が巻き上げられて僕の顔にぶつかっていた。

 空は広いのだけど、高くそびえ立った何本もの木々の先端が、その青を切り取っていた。山の向こう側を目掛けて大きく叫んでみる。自分の声がやまびこになって返って来たのを今まで聞いた事がない。そしてその時も、絞り出したはずの僕の声は山を越える前にどこかに紛れてしまったようだ。どこかで鳥の鳴き声が響いた。でもその姿はどこにも捉えられない。夏の太陽の日差しが、水面で反射して煌めいている。東京の雑多な音に混じった蝉の鳴き声も悪くはないが、蝉の鳴き声だけが絶えず聞こえているのも不思議と耳に心地良い。

 来年の夏はどんな風に過ごせるだろうか。今年の夏だって何もなかったわけではない。特別な事があろうとなかろうと、今年の夏はもう二度とはやってこない。吹き抜ける熱風も、肌を焼くような太陽も、季節が巡れば同じにはならない。今年の僕は来年にはいない。来年の僕は今年の僕と同じ人間ではない。夏の終わりの1日は特別な日ではないけれど、いつか訪れる特別な日に懐かしんで思い出すだろう。

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