理想

 理想を追うというのは、世の中に完全な物や完璧な人間がいないと経験的に知りながら、それでも完全無欠な人間を目指して邁進し続ける事と言える。水中に飛び込んだ後でもがけばもがく程息が苦しくなりながら、自分が魚のように自由自在に水中では動けない事を痛感する。どれだけ力の限り走って地面を蹴って飛び上がっても、遥か頭上を舞う鳥のようには空を飛び回る事は出来ないと知る。分かっていながらそれでも想う事は止められない。理由などない。思い描いたイメージを、他の誰かが横取りする事など出来はしないのだから。

 鍛えられた肉体に憧れて筋トレを始めた。体育学部のいかにも強そうな学生達から身を隠すようにして、細々とマシンを動かしていた。海外に行った時には、若い人だけではなくて、高齢者も黙々と走ったりジムで汗を流しているのを見て刺激をもらった。格闘漫画の登場人物達の破天荒な設定と、それにも増して屈強な肉体を見ながら、人間がこの肉体を描けるのなら同じ人間の自分も鍛えればその肉体を手に入れられると、根拠もなく思った。仕事が終わった後に、深夜の人気のない道をジムまで片道30分近く歩いて通っていたが、往復に疲れ過ぎて挫折した事もあった。

 鏡で自分の身体を眺める度に、体型が変わっていないような気がして勝手に落ち込んだり、少し体重が増えるだけで一喜一憂していた。しばらくトレーニングをしない期間があると、自分の腕が細くなったような気がしてとても不安になって鏡の前に立つのだけど、それだけで身体が鍛えられるわけではないから、またトレーニングを再開する。それを繰り返しながら今日まで過ごしてきた。いつか失うかもしれないと分かっている以上に、自分がかっこいいと思える身体を手に入れられると信じている。

 優しい人間になりたいとずっと思いながら、冷静になるといつも優しさがどこか遠くに飛んでいってしまっている自分に気付く。大切にしたいと思いながら、最終的には自分の事しか考えていないと自分を責めて溜息を漏らす。強い肉体を備えたとしても、人に対する思いやりとは全く別の話で、ただ相手を威圧するだけになりかねないと思っている。思いやりというのは目には見えない感情ではあるけど、その気持ちを伝える為に時には目に見える物や耳で聴ける言葉にしなくてはならない。素直にならなければ、形にしたとしても正直な思いは中々伝わらない。

 自分への厳しさを源泉とした最高の肉体と精神、そして聞こえが良いだけの浅はかな愛情表現ではなく、不器用であってもいつも正直な自分の気持ちを伝えられるようにしたい。そして例えいつこの命が終わりを迎えたとしても「今の自分が最高だ」と胸を張れるように生きる。それが僕の理想だ。

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