海を眺めて

 夕暮れ時は帰路に着く車の列で道路が混んでいる。その列の中程に僕の乗る車はいて、ブレーキペダルを踏んだり足を離したり小刻みに忙しい。遠くに見える信号の色が赤から青に変わったのは確かに見えるのだけど、それで僕の車がすぐに動き出す事はない。お気に入りの曲を集めたプレイリストを車内で聴き続けてはいるけど、もう何周したか分からない。夜の気配は静かに上空から忍び寄って来て、僕の見たかった海の景色はもうじき失われようとしているのかもしれない。

 海岸から一番近いコンビニの駐車場に入る。太陽は西の山からその眩しい輪郭を少し覗かせるだけで、どこに車を停めても日陰しかない。店舗入り口横のスペースに駐車して、財布とスマホを持って車の鍵を閉めた。低い機械音を鳴らしながら穏やかに開いた自動ドアから店内に入る。まず僕は店内奥のトイレで用をたし、麦茶を選んでレジまで運んだ。電子マネーの残高は出掛ける前に確認して、ペットボトル1本くらいなら難なく支払える。決済完了の音を聞いて商品を受け取って、また車に乗り込んだ。

 海までの最後の信号を渡って住宅地の間を抜ける。海水浴場の営業時間は1時間程前に終了していて、公営の駐車場は既に門が閉まっていた。堤防に上がる直前の急勾配を上って右に曲がる。堤防に車の左側をぎりぎりまで寄せて止まる。助手席には誰も乗っていないから、僕だけが降りられれば充分だ。決して道幅が広いとは言えないので、念のためにドアミラーは畳んでおいた。肩掛け鞄を持って施錠したら、堤防を降りていきスニーカーで砂浜の感触を確かめるように一歩ずつ歩き出す。白い貝殻の破片が砂に混じって顔を出していて、裸足ではとても走れそうになかった。

 遠くの方に船が見える。波を立てながら僕の視界を右から左に抜けていく小型船も見えた。左手の陸地には滑走路らしき明かりが等間隔で灯っていて、白い機体の飛行機が飛び立っていく。僕は数回飛行機に乗った経験があるけど、あの空港から飛び立った記憶はない。これから向かうであろう目的地で過ごす時間に思いを馳せながら、ある人は備えて眠り、またある人は興奮冷めやらぬ中、連れ立った友人との話が尽きないのかもしれない。そして僕は一人波打ち際でその白い二つの翼を眺めていた。

 西の空の赤みは完全にどこかに消え失せてしまって、海は夜の中に波音を響かせていた。僕は波打ち際でポケットに手を突っ込んで静かに目を閉じた。波の音が聞こえてくる。寄せては引いてをひたすら繰り返している。時々音が近くなったり遠くなったりするから、もしかしたら足元近くまで水が来ているのかもしれない。スニーカーが少し濡れている気がして目を開けるけど、そんな心配は無用だった。いつの間にか空には月が浮かんでいて、水面にその銀色の光を乱反射させている。その銀色の光は海岸に向かって輪郭を絶えず揺らしながら、まっすぐ僕に向かって伸びている。

 波音は僕の心の不安とすっかり入れ替わっていた。どれくらい続くだろうか。細波だって不安が影を落とすなら、また何度でもここに聴きに来よう。

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