もう戻れない
今まで起きなかった時間に目を覚ます事が増えた。ぐっすり眠っているはずの深夜に、小さな息子の声で起きる。起きると言っても立ち上がっていきなり身体を動かせるわけではない。目を開けて周りの状況を視覚として認識は出来る。息子が隣の子ども用のマットレスの上の布団で手足をバタつかせている。何やら穏やかではない類の声も挙げている。僕はタオルケットが中途半端に身体に掛かったまま、ずるずると腹這いで移動して、息子の様子を近くまで見に行く。目が合ったり合わなかったりするけど、時々は笑顔を返してくれる。
二度寝の後にスマホで時間を確認したら朝の6時前だった。在宅勤務になる前なら既に起きていて、朝のテレビ番組を見つつ簡単に朝食を済ませていた。7時前後に一番面白いコーナーが始まるのだけど、僕はその頃には玄関を出て駅に向かっている。下北沢の街はまだ全然起きられずに、昨晩の余韻を良くも悪くも引き摺っているように見えていた。頭はまだまだ冴えていないけど、電車に問題なく乗れるくらいにはまともに働いていた。
今はどうかと言うと、6時前に起きてそこから更に眠る。仕事の為に外に出掛ける必要がないから、時間の流れがとてもゆったりしているように錯覚するのだ。一度だけオンラインでの朝礼に遅れた事があった。家から電車を使って会社に遅れるのとは違って、仕事場はまさに目と鼻の先だ。やらかしたと思っても、布団を退けて顔を洗って寝癖を適当に直す。通勤の時ならもっと焦っていただろうが、今は正直緊張感で言えば和らいでいる。和らぎ過ぎていざ通勤が再開された時に悪い意味で色々と弊害が出ないようにしておきたい。
電車に乗る機会が激減して、定期券も買わなくなった。会社に通勤しなくても仕事として成り立つのであれば、原則在宅で働く事を検討してもいいと思う。リスクは当然あるとしても、メリットの方が大きいと個人的に感じているからこのままずっと在宅でと願っている。在宅勤務になって、時間の使い方をとても意識するようになった。通勤時間が減って仕事が始まるまでの時間が長く使えるようになったし、仕事が終わった時点で家にいるのだから眠るまでの時間も長くなった。
もう戻りたくないと思ってはいるが、通勤がいつかはきっと再開されるはずだ。雇われている僕は、自分が理想と考える働き方を提示する立場にはいない。でもそれだってもしかしたらアイデアを出して見ない限りどうなるかは分からない。その境界線を超えようとする人間が、新しいものを生み出すしていくのかもしれない。