2階の柱の陰で

 中央が吹き抜けになっていた建物の2階部分に、ちょっとしたスペースがあって、そこで休憩したり誰にも邪魔されずに作業が出来る場所があった。複数の人間が座れるように柔らかいクッションのベンチが置かれていたが机はない。机の代わりに自分が座っていない座面に参考書なんかを広げていつもひとりで英語の音読をしていた。建物の1階部分は特に使い方が決まっていない広いスペースがあって、友人と談笑したりグループで課題をやったり、もしくは昼時に皆でランチを一緒に食べれたりする場所があった。

 僕は時々1階をこっそり見下ろしながら、日本から来たであろう留学生同士が英語を話さず日本語で喋っているのを聞いて、彼らと自分とは英語習得に対する意識の差が既にあるなと勝手に思い込んでいた。自分は今いるこの場所で、定められた一定の期間の間にやるべき事をやっていると。日本に帰ればいくらでも日本語を使って喋れる。むしろ日本では英語で日常生活を送る方が逆に不便だろう。留学だっていつまでも出来るわけではない。のらりくらりと適当にやっているのなら、外国にまで来て過ごさなくてもいいだろう、という具合になぜか刺々しい態度だったと思う。

 後々仲良くなった日本人の友達から、案の定「話しかけ辛かった」という正直な言葉を聞いて、なぜか落ち込んだ。目的は皆それぞれ違うのだから、僕の目的意識を他の人間に押し付ける事は出来ない。だからといって、自分は皆と考えている事や目当てにしている事は違いませんよなんて言えない。自分の目的を見失わずに、周りの皆とある程度の協調性を持って過ごすにはどうしたらいいのか。そもそも協調性を持ってやらなければ、という事に気を揉んでいる時間が勿体ない気がしていた。

 現在、在宅勤務になって電車にも乗らず会社にも出勤せず、パソコンの画面を共有しながら時々同僚と仕事上の話をする。僕は今でも人に合わせて何かをするというのが苦手だ。少なくとも僕はそう思っている。だからそんな僕の側にいてくれる人達の存在はとてもありがたい。父親になったのに、気が短い性格が劇的に改善したのでもないし、誰かを困らせてしまう事も未だにある。その度に反省して、素直な自分を固い地面の中から脆いスコップで何とか掘り起こしている。

 前々から気になっていた洋書の専門店に出掛けた。電車に乗って屋外の暑さと屋内の冷気に交互に触れながら辿り着いた。フロアに入った瞬間に、ハリーポッターの最終巻を留学していたカナダの書店で手に入れた時の事を思い出した。当時から日本でも映画化されてはいたけど上映されていたのはかなり序盤の物語で、現地で原作の最終巻を手に入れて読めると分かった時には何だか得した気分になった。英語でタイトルが書かれた日本の少年漫画や、日本の小説の英語訳、見た事のないような雑誌。日本の書店のはずなのに、そこには遠い異国の空気感が漂っていた。そして当時とは違う装飾が施されていたものの、紛れもなくハリーポッターがそこに並んでいた。

 僕はただ自分の可能性を信じていればよかった。他の人間が時間をどう使うかというのは、僕には最初からコントロール出来るはずがなかったのに。本当に時間を大切にするのであれば、自分の行動で変えられる事だけに集中すべきだった。そしてそれらの気持ちを後悔としてではなく教訓として抱いている。あの頃よりも、僕は遥かに自由でいられる。

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