東京へ向かって

 大学卒業後、約5年間働いたスポーツクラブを退職した。受け持ちのスイミングの最後のレッスンで、自分の気持ちを正直に子ども達に伝えた。彼らみんなに出会えたことで新たに目標が見つかったこと。決して後ろめたい気持ちで辞めるわけではないこと。水泳でもいいし、水泳以外でもいいから自分が真剣になれることを見つけて一生懸命がんばってほしいこと。言葉が意図した通りに伝わったかは分からないが、いつか大きくなって思い出してくれたらと思う。

 子ども達から貰った手紙の中には、生徒の親御さんからのメッセージが書かれているものがあった。親御さんと関係は比較的良好だったと思う。多少の気疲れはあったが、我が子の為に一生懸命になるのは当然のことだろう。揉めたことが一度だけあったが、今思えば自分が未熟だったなと思う。

 スイミングのコーチとして技術を極めるという選択肢より、東京に出て残りの人生を悔いのないように生きたいという気持ちが強くなった。迷いはなかった。周りの人は、数年したら地元に戻ると思っていたと思う。自分は長男だし、そう思われても仕方ないとは思う。ただ、本当に自分はそうするべきだろうか。地元に残ると言う選択を、後々後悔しいつまでも自分を責め続けるかもしれない。思い通りやって、結果避難されることだってあるかもしれない。今までこうだったから、とか自分はこうしてきたのだから、という理由でそれを他の人にまで求めるべきだろうか?頑固だとか、素直じゃないという意見もあるだろう。しかし、後悔してもうまくいっても、誰も尻拭いはしてくれない。というか、それに期待していてはいけないと思う。自分以外の誰かを変えることなどできないのだから。

 スイミングのレッスンを通して、子ども達に自分の言うことを聞いてもらうにはどうすればいいかを考えていた。しかし子どもの可能性を伸ばすこと、自立して生きられる力をつける為にもっとできることがあったはずだ。自分の希望を叶える為には、まず相手の希望に寄り添うことも必要だと学んだ。

 新しい門出に立っても、それまで出会った人の言葉や思い出から学んだことは忘れずにいたい。いいことも良くなかったことも今の自分の一部になっているのだから、誰のことも恨んだり文句を言う必要なんてないのかもしれない。

 引越しの荷物を積んで東京へ向かうレンタカーの中で、これからの生活を思い描く。上京前に、一度部屋探しに出掛け入居審査を依頼して一旦地元に戻った後、仕事が決まっておらず入居審査が通らなかったと連絡が来た。そりゃそうだよなと思いながら、でも大丈夫だと、強く言い聞かせて眠った。

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