育てるつもりが、育てられ
今日も冷たい雨。風が冷たく冬らしい天気になった。一昨日の続きの話をしよう。
大学を卒業後、地元のスポーツクラブで働き出す。ジムトレーナーとスイミングコーチを兼務した。慣れない指導に加え、水に長時間浸かることで体力を奪われ体調を崩しがちだった。水泳のレッスン中は、子ども達の安全にも気を配らなければならない。それまで経験したどんなことよりもハードな毎日だった。
慣れとは不思議なもので、接している子どもの細かな仕草や動きの変化が目につくようになる。自分がとった行動や言った言葉への彼らの反応に変化が現れる。自分が調子がいいと、自然と接し方が明るく前向きになる。すると子ども達も楽しんでくれる。逆に何かよくないことがあってそのままレッスンに臨むと、彼らもどこかいつもと違う感じになる。子どもと言えど、スクールではお客様なのだから態度に出すべきではない。でも言い訳をするのではないが、コーチだって人間なのだから気分の浮き沈みはある。浮き沈みを繰り返しながら、自分なりのレッスンスタイルを模索していった。
子どもの水泳が上達するのを目にするのと同時に、自身の成長も実感することが増えた。もっと言うと、レッスンを通して子ども達に育ててもらっているんだと思うようになった。だから、彼らにとってベストなレッスンをすることは自分にとっても有意義なはずだと思った。もっと教える技術を磨きたいと思い、自分でレッスン日誌を付けてみることにした。そのレッスンごとにやったメニューを書き出し、子ども達の様子や次回に向けての課題をできるだけ細かく書き出していった。日誌のノートが増えていく度にレベルアップしている気がして楽しかった。
通ってくる子ども達の主な目的は、もちろん水泳の上達であることは疑いようはないだろう。ただ、水泳の上達とそれでこの先の生計を立てていくことは別のことだとも思う。だからコーチとして彼らに教えるべきことは水泳とは別にあるんじゃないかと考えるようになった。挨拶や思いやり、そして努力を継続することの大切さ。子ども達に伝えながら、果たして自分自身はどうだろうと問う。子ども達に胸を張って言えるだろうか。レッスンが終わる度に自分に言い聞かせていた。
そうして日々は過ぎていき、僕は上京する為スイミングスクールから離れることにした。子ども達が一生懸命小さな身体を動かして課題に取り組む姿を見るうちに、自分は彼らに伝えたようとしていることを本当に体現できているだろうかと思うようになった。確かにその時、水泳の指導を通じて充実感は得ていた。給料ももらって生活もできていた。それでも、中学生で不登校になって考え続けてきた生き方を実践したいと強く思った。一度しかない限りある人生を、思い描いた通りに生きる。東京に行けば全て解決するとは思っていなかったけど、自由に生きたかった。