3億の扉
目の前に広がる真っ白な空間には無数の扉が見える。それらの扉も皆白く新しい物のようだ。昼間に見る星のように扉の取っ手は眩しく金色に輝いて、まるでその道の職人が長い時間を掛けて丁寧に磨いてからまだそんなに経っていないような輝きを放っている。視界に入るだけの扉を、端から順番に数えてみるけど一向に数え終わる気がしない。数えるのを一旦止めて一番近くの扉に近付いてみる。相変わらずそれは真っ白な扉であり続けている。扉の向こう側がどうなっているのかを覗きたいのだけど、扉の枠の外側に視線を向けると、眩しすぎて3秒と見ていられなかった。
どこからか手に入れた白いタオルが僕の首に掛かっている。日陰で乾かされたのか肌触りは柔らかい。扉の周りの風景を何となく眺めていたら、急に首筋を何かがなぞった心地がした。突然の感覚に僕は慌てて身を震わせ、何が起こったのかを把握しようとする。よくよく考えれば今ここには僕ひとりしかいない。仮にどんなに小さな虫がいようと、それが白い身体をしていない限りここで僕が見逃す事はないはずだ。タオルの先が優しく肌に擦れたのが違和感の正体だった。
扉をいざ目の前にすると、その向こうに何があるのかを考え過ぎて取手を掴むのを躊躇してしまう。開く前に向こう側にあるものを確かめられたらと思うのだけど、もしそれが出来るのであればそもそも扉を閉じておく必要もないし、扉自体を置く必要もないのではないか。自らそれを開ける勇気と、先に何があってもなくても受け入れる覚悟が備わっているのかを試されているに違いない。あるいは扉を開けた瞬間に、真っ白だった景色が一瞬で漆黒の闇に反転し、僕の存在ごとなかった事にされてしまうのかもしれなかった。
僕はそこに突然現れた事になる。何がきっかけで肉体という精神の容れ物を手にしたのかも分からない。気付いた時にはこの無数の扉が置かれた真っ白な空間にいた。僕と同じようにたくさんの誰かがそこにいたかもしれないと思わせる気配は感じるのだけど、他の皆はもう扉を開けて行ってしまったのかもしれない。それとも僕が扉を開けるのを合図に、皆がほんの少しだけ遅れてなだれ込むように取っ手に手を掛けるのだろうか。いずれにしろ他の誰も視界に入らない以上、僕は自分ひとりで決断しなければならなかった。
僕がそこに来たのは、留まる為ではなくてそこから先に進む為だという事だけが唯一今確信を持って言える。どれくらい扉の前で立ち止まっていただろう。金色の取っ手は近くで見ると、金属ではあるのだけど木材のような温もりを放っている。まだ手を触れたわけではないが、それは冷たく硬質で特定の用途の為に加工された金属ではなく、扉の向こうへ優しく誘なう温かい光のように見えた。後から知ったのだけど、僕がいた空間の扉の数は3億もあって、向こう側に行った後の次の扉の数はとても少なくなってしまうのだそうだ。そして最後の扉を開け放った後、今僕の精神はより大きな容れ物に収まって生き続けている。