200
200という数字はあまり好きではない。綺麗に割り切れてしまうから。一桁の数字はどれも潔く僕の目に映るのだけど、桁が2桁以上になった途端に視覚的にごちゃごちゃして見えてしまう。僕の名前には漢数字の一が使われている。理由は単純で1日に生まれたからだ。だから数字の1はずっと好きだ。始まりの数字であり、複数で比較した時に良くも悪くも目立つ数字でもある。僕はそういう風に目立った事は今まで一度もなかったから、ある意味では憧れのような気持ちを抱いていたんだと思う。
毎日文章を書き続けるというのは楽ではないと予想していた。そして実際は予想以上に大変な作業だ。脳味噌を捻り尽くしても、指先が動かず一文字も画面に打ち込めない時もあったし、今でも時々そういう心境になる。僕の身体はまだまだ動こうと思えば動けるのに、頭が回らない時というのは本当に頭の中に何も浮かんでこない。濁った水の中から突然何かがふわっと浮かんでくるような瞬間を待っているけど、そううまくはいかない。時間だけがどんどんと過ぎて行く。
本来なら毎日良質の記事を書き続けるべきなのだけど、ここまで継続してくると書き終わるのが目的になっていて、読者に何かを提供するという目的が疎かになってしまう。200回書いて、うまい棒がいくつか買える程度の数字を見るのも寂しい。そういう時に見る数字というのは、桁数が多ければ多い程見ていて嬉しい。もちろん書き手の僕の文章に足りない物がたくさんあっての結果だから受け入れるしかない。それでも読んでくれている人がいるのはいつでもありがたい。
文字で伝えられる事はたくさんあるというのは間違いではないと思う。そう信じて書き続けているのだから。ただたくさん書けばいいというのでもないし、少しの文字でもはっとして心を動かされる文章がある。伝えられる事の中には自分の正直な気持ちや考えというのも含まれている。だから最終的には、自分の書きたいと思う事に素直に従ってもいいんじゃないかと考えている。世界中の人達の心を一気に捉えるなんて事はできないし、僕には僕の考えがあるように彼らには彼らの考えや好みがあるのだから、そんなに多くの人に向けての文章にはならない。
チケットを購入して出掛けた東京駅のギャラリー。そこで行われていた展覧会のチラシで、鋭い眼光を投げて振り向く高倉健。彼の見つめる先には何が待っていたのか、それを僕が知る事はない。何もかもがうまくいったとしても、僕は彼にはもう会えない。天国という場所が確かにあるのなら、その時まではお預けだ。そう言えば彼も200本以上の映画に出演したらしい。彼が1回ごとに込めた熱量に比べれば、僕のはまだまだ足りない。それでも書き続けなければどこにも辿り着けない。辿り着きたい場所と理想の自分がそこにいるから、僕はこれからも書き続ける。