今日も
もうしばらくは続きそうだ。途中にいる間はとても長く感じるのに、過ぎ去った後は思わず笑みが溢れる思い出になるだろう。1日の始まりには、その日が終わるまでの時間を長めに見積もって、夜ベッドに横たわった時には一瞬だったような心地で目を閉じる。育児休暇のような有給休暇を消化して、週が明けた今日からまた在宅で仕事を再開した。パスワードや何やらを忘れていないだろうかと少し心配はしたけど、問題なくパソコンは立ち上がり見慣れた画面を僕に見せた。
2週間も休んでいれば、メールもいつもよりたくさん未読になって溜まっている。実際に今までで一番受信ボックスの未読件数が多かった。ひとつひとつ内容を細かく精査している時間はない。概要だけ確認して、明らかに不要だと思ったメールは削除してしまう。そしてゴミ箱に続々と集められた不要なメールを一斉に再度消去した。余計な心配事が失くなったような気になって、何だかすっきりした。休暇の間に同僚達がやり取りしていたメッセージも一通り確認して、返事が必要なものに関しては休みの礼を言いつつ返信した。
休暇が始まる前に既に息子は家にいたから、彼が泣いていたりぐずっているのはあまり気にならない。でもその時は今より余裕がなかったから、結構慌ただしくしていたと思う。今はと言えば、楽にはなったけど意思疎通が思ったようには図れないから時々は苦労する。そしてそんな状況でも、仕事は仕事として最低限の事は達成しなければならない。きっと世のお父さんお母さん達がそうしているように。合間には息子が横になっている小さなベッドに寝そべって、彼の瞳を覗き込んで何を考えているのかを探っている。
仕事って何だ。働かなければ自分はおろか家族さえ養えない。黙っていても誰かから施しを受けられるわけでもない。子どもの為にと辛い時に気持ちを奮い立たせても、子どもが自立した後も生活は続いていく。その時になって今の仕事を続けている自分を誇れるかと問われたら、素直に首を縦には振れない。職場の人間関係は悪くはないし、今回のように育児休暇ほど長くはないにしても2週間という短くはない休暇の取得と、子育てに一時的に専念したいという僕の意志が尊重される職場だ。だからあくまでも僕自身の課題として向き合わなければならない。
昨日よりもずっと前から始まって、今日という日もまだ途中でしかない。明日になれば、今日は昨日になって昨日は遠い過去にまた1日分近くなる。そんな終わりがないように思える日々もいつかは必ず終わる。その時には確かに精一杯生きたと心から言えるようになっていたい。そうだ、部屋の窓からは隣のマンションじゃなくて夕陽が見える所に住もう。親子で一緒に料理が作れて、うまく出来なくて溢れてしまっても大丈夫なくらい大きなキッチンにしよう。風呂に入ってゆっくり温まったら羽毛布団に包まれて、朝日が僕らを照らすまで夢を見ていよう。