水中から
僕はゆっくりと深呼吸を繰り返す。自分の肺にどれくらいの空気が入るのかを確かめるように、少しずつ限界まで吸って吐いてを繰り返す。これ以上は空気が入らないと思ったら、少しだけ吐き出して静かに水中に身体を沈める。耳で聞いていた音は一変する。身体が水中に入った時にできた泡が弾ける。水中に入ってからまだ息を吐き出していないので、心臓の鼓動が大きく響く。耳で聞いていると言うよりは、骨や筋肉を伝わって身体の中だけで音の伝達が完結しているような感覚。全身が耳のようになった心地だ。
余計な力は抜いてしまう。手足を自然に広げて底に沈むのを待っている。2本の足で立ってしまえばどうってことのない深さ。敢えて何メートルも潜るようにゆっくりと水に身を任せる。まだ息は苦しくはない。心臓の鼓動がずっと鳴り続けている。僕の身体と底が平行になるまで待って、そこでゆっくりと仰向けになった。少しだけ息を吐いてみる。喉の奥で堰き止めていた何かが開放されて、もう少し長く水の中に居られるようになった。
水中で仰向けになった僕はゴーグル越しに景色を眺める。天井の照明が降り注いでいる。しかしそれは水面の揺れによって、乱され揺さぶられながら影と共に僕の身体を淡く照らしている。遠くの方で誰かが水に勢いよく飛び込んだのかもしれない。水に輪郭をぼやけさせられた鈍い破裂音が聞こえてくる。バタ足をしながら隣のコースを泳ぐ人の姿が視界を横切った。水が掻き回され細かな泡がその後に続いていくのだけど、ゆっくりと水面に向かっていって消えてしまう。
水面をじっと見つめたまま僕は口の中に空気の塊を作った。出来るだけ短い時間で、大量の空気を吐き出したい。何度もやったから大丈夫だ。そして僕は「ぼっ」とその塊を吐き出した。水中に居なければ違う音だったかもしれない。僕が身体を動かしても、周りの空気は音をほとんど出さないが、僕の周りの水は身体の動きに対して穏やかに音を立てる。僕が吐き出したその塊は楕円形を保って浮上していく。徐々に楕円は丸く引き伸ばされ、中心が薄くなりドーナツ状に形を変えていった。透明な円形のガラスの蛍光灯のようになって水面まで到達する。水面を大きく盛り上げて、その空気の輪は解き放たれた。
子ども達に見せるととても喜んだ。水中から開放された空気の塊に皆が手を触れようとする。身体が小さいから水に顔を浸けるのもやっとの子ども達だ。今年の夏はどこかに行けるだろうか。まだプールには一緒に入れない。庭のない家に住んでいては、ちょっとした水浴びは風呂場でしかできない。花火ぐらいはどこかで打ち上がっているのを目にするかもしれない。僕はスイカよりも、冷やしたぶどうを食べたい。たこ焼きを頬張りながら提灯の明かりの間を歩いていく。