我が(思う)まま
物語の中で大抵の黒幕は、世界は自分の思うがままになると本気で信じ込んでいる節がある。もしくは自分の思った通りにならなかった事に対して異常に執着して、他人にも自分と同じ思いを味合わせようと画策している。現実世界でも自分の思い通りにならない事はたくさんあるわけで、もし僕が他人にも同じ気持ちをとなったら、死ぬまでずっと恨み辛みを抱えて生きていかねばならない気がする。そんな人生はきっと最後になって虚しいだけだろうから、僕は敢えて思い通りに事が進まなくてもどっしり構えていられるようになりたい。
自分以外の誰かに、夕飯を食べた後に「もう寝なさい」と言われて布団に入ったのはいつが最後だっただろう。大人になると、私生活について細かな指示や助言を傍らで与えてくれる人が少なくなっていく。それまである部分では自分の生活が管理されていたのが、自己責任の元に自由になっていく。自由になるという事は、どこでいつ何をしていても咎められる事が少なくなるという事。もちろん完全にお咎め無しにはならないだろう。一人暮らしの途中で久しぶりに実家に帰った時には、親に生活の様子を細かく聞き出されるかもしれない。
今日は幼い息子を初めてベビーカーに乗せて近所を散歩した。昨日の夜届いた新品のベビーカーは、外国で職人達が組み立てている工場の匂いがした。詳しいマニュアルが付いていて、組み立ても簡単だった。何か物を買ったら、まずはマニュアルや説明書を読んでから作業に取り掛かっていた僕も、今はせっかちになったのか一旦箱から出して実物を色々と触ってみた。そして文字がなくイラストのみのシンプルな手順に従って丁寧に組み上げた。組み上げたと言ってもプラモデルではないので苦労はしなかった。
お世辞にも綺麗な路面とは言えない。アスファルトは敷かれているけど、その表面は滑らかとは程遠い。ベビーカーの車輪がその細かな凹凸を全て拾うようにして振動が続く。もちろん振動で揺れるのは僕ではなく、シートに座った小さな息子だ。歩くのが早い僕も、かなりペースを落として少しでも振動が小さくなるように心掛けた。初めての経験だからなのか途中でぐずりかける事はあったが、目的のスーパーまでは大きなトラブルもなく到着できた。店内は冷房も効いているだろうし、人も少なくないから妻と息子には外で待ってもらって、僕が夕飯の買い物を済ませてから家に帰った。
道すがら、高齢の女性が息子に気付いたのか近付いて話しかけてきた。まだ1ヶ月になったばかりだと伝えると「大事にしてね」と言って去っていった。大事にする。大切にする。子どもの自立を促す機会を大人が奪わない。頼られた時には力を貸す。本人の為だと信じるなら、迷いなく突き放す。自分にとってはとても「大きな事」だから。