空の切間に

 とてつもなく大きな煙草を、とてつもなく大きな誰かが咥えて、とてつもない量の煙を優しくその場に止めるように吐き出したみたいな雲。ずっと薄暗かった下北沢の空には、青い大気が顔を出していた。僕にとって煙草にあまりいいイメージはないけど、その白くて重さが一切ないように感じられる煙なら、飛び込んで見ても嫌な気分にはならないかもしれないと思った。明るくなった空からは、容赦なく太陽が顔を出してアスファルトを蒸しあげる。水溜りの水も蒸発してしまって、暑さに顔をしかめる人達と何人も擦れ違う。

 今日も少し寝不足気味で目が覚める。元々設置していたベッドの場所を変えてみた。今までの場所だとエアコンの風が結構まともに当たっていて、暑がりな僕は寝汗を大量に掻き、家族は身体を冷やし気味だった。いくら外が蒸し暑いとは言え、家の中で身体を冷やしてしまっては元も子もない。元々広くはない部屋だからこそ、色々と置き場所を変えながら試行錯誤するしかない。そして結果的に、配置換えはうまくいっている。部屋全体にエアコンの涼しい風が行き渡りつつ、身体には直接当たらなくなったから快適になった。昨日は寝汗もかなり少なくなって、朝起きた時の不快感もほぼない。

 そんな感じで比較的快適に起きた今朝は、数日前に買ったDVDを観る事にした。宮崎駿監督のアニメーション映画『風立ちぬ』だ。これまでレンタルしては繰り返し観てきたが、しばらく時間を置くとまた観たくなるので思い切って購入する事にした。映像配信のサブスクリプションで観れればとも思うけど、こればっかりはどうしようもない。ただ手元に置いておく価値はあると強く思っているから、安くはないにしても後悔はない。

 「生きねば。」という達筆な文字が目に入ってくる。幼い頃から飛行機の設計者を夢見ていた主人公。操縦士になる為には視力が足りなかったが、尊敬する設計者から設計は夢に形を与えると鼓舞され、夢を叶えて設計者として働き始める。偶然乗り合わせた列車で大地震に遭遇し、怪我人を運んだ主人公。怪我人の傍らに付き添っていた少女と後日再会することなるのであった。運命の相手というと少し派手に飾り付ける印象があるが、僕の感覚では素朴ではあるけれど、誰かを想う気持ちを長年温め続けた結果、自然と染み出してきたような透明で純粋な温もりを感じた。

 別々の場所で、同じ時間に自分の身を置くという事は不可能だ。だから必然的に優先順位という考え方が生まれる。大切なものが複数あっても、物理的に一番近くに寄り添えるのはひとつだ。綺麗に間を取ったとしても、それはどちらも疎かになって中途半端になる事がなくはない。限られた時間の中で自分ひとり、もしくは身近な誰かと何か決断しながら生き続けていかなければならない。得るものがあるように、失うものもあるかもしれない。だからこそ、1日1日を大切に生きるという主人公達の姿が眩しいのだと思う。

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