蝉の音

 僕がその時トイレで聞いたのは確かに蝉の声だった。どんよりとした雲が街を覆い、時折雨が降った。雨粒は地面に落ちるけど、雨に成り損ねたもの達は小さな霧状になって僕の周りの空気中を漂っているようだった。それは決して気持ちのいいものではなく肌に張り付いて、汗ばんで火照った身体の熱の逃げ道を奪っていく。まだ明けない梅雨の終わりと、またあの暑い夏の到来を告げるように蝉の声がいつまでも僕の鼓膜に響いていた。

 鼠色の空。僕が知っている鼠は、どれも可愛く装飾されている。しかし実物の鼠を見て同じ印象を持つことはほぼない。夕飯に茹でるパスタに入れる具材を買いにスーパーに出掛けた。息子を沐浴させて落ち着いた後、ミルクを夢中で飲み続ける彼と彼を抱く妻を残して出掛けた。部屋はエアコンが効いていて蒸し暑いということはないのだけど、外はまるで別世界だ。冷たい氷をタオルで包んで首にでも巻いていれば少しはマシなのかもしれないが、まさかそんな格好でスーパーには行けない。僕は諦めてサンダルで歩き出した。

 聞こえていた蝉の声はどこに行ってしまったんだろう。鳴いているのが自分達だけという事に気付いて引っ込んでしまったんだろうか。夏本番になれば、自分達が黙っていても他の蝉達がうるさいくらい鳴くのだから、今は出し惜しみしているのかもしれない。蝉は夏の間にその短い一生を終えると聞いた事がある。せっかく暗い地面から這い出てきたというのに、一夏しか生きられないとしたらやるせない気がする。蝉の一生を想うと、人間の一生はとてつもなく長いと感じるかもしれない。しかし蝉はその短く限られた時間の中で全身全霊で鳴き続ける。

 蝉の一生を人間の時間に換算して、果たして僕らは息絶えるまで走り続けられるだろうか。蝉が全力なのか、それとも時々手を抜いていたりするのかは確認のしようがないのだけど、誰の耳にもはっきりと蝉だと分かる鳴き声だ。全力で生きて、自分はここにいると誰かに訴えるような。それで何かを得るわけではないかもしれない。「また鳴いてる」と言われるだけでそのまま素通りされるかもしれない。でもそんな事を蝉はきっと気にしない。なぜなら夏が終わったら自分は死んでしまう。誰かに覚えてもらっていたとしても、誰が自分を覚えていたのかを知ることは多分ない。それよりも全身全霊で鳴いたという何よりも強い自分の中の実感を抱きながら命果てる。

 地面に落ちてもう動かないと思っていた蝉が、近付くといきなり短く鳴いて手足をバタつかせることがある。僕は甲虫以外は飼ったことがなくて、昆虫を手掴みするのは苦手だ。だから暗い夜道で小さな黄金虫が落ちているだけでも結構驚いたりする。身体は小さくても、結構力が強い。人間は身体が大きいのに、優しくなかったりする。蝉の一夏は僕の一生で、僕の一生は蝉の一夏。今年はどんな夏になるだろうか。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

未分類

前の記事

熱源
未分類

次の記事

空の切間に