世間って何だ

 汗を掻きながら歩き続けた。途中のコンビニで来月に出す粗大ゴミのシールと一緒に烏龍茶も購入した。烏龍茶は思ったほど冷えていない。お茶の中でも一番好きだが、サントリー以外のそれは味が薄く感じる。蒸した茶葉を手で掴んで、ギュッと絞った濃い汁のような渋みが欲しい。少しずつ飲んでを繰り返しながら、僕は北沢川に向かって歩き続けた。定番の散歩コースだ。何度も足を運んでいる。毎回目的があって出掛けるわけではない。ただその川の流れを見つめていたら何か問題が解決したような気分になるのを期待するけど、大抵は期待だけに終わってしまう。

 実家にそろそろ数日帰ってゆっくりしたいと思っている。温泉にでも浸かって美味しい物をたくさん食べて英気を養いたい。でも状況的に気兼ね無く移動するというのは難しい。落ち着いたと思っていたら、再度緊張感の高い状態が戻って来ている。これまで誰も経験したことのない出来事の真っ只中であることに疑いの余地はないだろう。毎日感染者の数が発表されて、僕も含めて少なくない人達が動揺していないと言えば嘘になってしまう状況だ。

 僕は今東京に住んでいる。今年に入ってからしばらくは電車で都内のオフィスビルに通勤していた。その後在宅勤務になってから既に半年近くが経過している。飲み会に行ったり、人がたくさん集まる催し物のような場所にも行かなくなった。そもそも以前からそういった習慣はほとんどなかったが、それがより一層顕著になったイメージだ。日用品や食品の買い物に出掛けるくらいで、自炊する機会もかなり増えた。客観的に考えれば、感染するリスクというのはかなり低いと思っている。感染しないと思ってはいないが、最新の注意を払っているつもりだ。

 テレビを全く見なくなっても、ネットニュースで情報には触れている。東京を含む関東圏から地方へ移動した後に、感染が確認されるケースが相次いでいると。ニュースだけでなく、近しい人間にまで同じ事を言われると首を傾げたくなる。首を傾げたくなるを通り越して、僕は正直憤りを感じる。自分がなぜそう感じるのかを、文字にして残そうと思った。そうすれば後で冷静になった時に、考え方を修正する機会になるかもしれないし、より良い考えを持つ為の一助になるとも思えるから。

 まず僕は一番納得できなかったのは、東京に行く=感染する、という表現だ。僕は東京に住んでいるが、前述した通り感染リスクを極力避ける生活をしているし、今のところは感染の兆候はない。自分は感染しないと思っているというより、東京に行けば否応なしに感染するという図式が正しいのかを疑問に思っている。関東圏以外の人達は、東京に足を踏み入れるだけで感染すると本当に思っているんだろうか。もしそうだとしたら、感染した人が東京に来てからどんな行動を取ったのかを考えた上で判断したんだろうか。

 ネットで調べれば、全ての感染者ではないにしろ、感染者の行動歴を閲覧する事ができる。東京に来てただじっとしていた人だけではないはずだ。お店に行って会食をしたり、いわゆる濃厚接触に当たるとされる行動が原因の可能性が垣間見える。もっと言えば都外から何人が来て、そのうちの何人が感染して、感染した人達の行動歴から考えられる対策をマスコミを通じて伝えられるべきではないかと思っている。その情報を活かして、感染していない人は自ら行っている対策を見直せるし、感染した人にとっては行動パターンを改善する助けになるはずだ。

 感染者と同じ建物にいたというだけで、感染者扱いされ、更に身内も感染者のように思われ職場で不当な処遇を受けたという出来事を知っている。駐車場に関東圏のナンバープレートを付けた車が止っていたら、それが原因であらぬ噂を立てられる。同じ建物にいたら、面識が全く無くても濃厚接触者か。関東以外の場所で、都内ナンバーを付けてそこに住んでいる人はいないのか。自分が感染したくないからと言って、根拠のない安易な推測で判断するのは間違っていると断言する。自分の中で思うにとどめるのならまだしも、例え間接的であっても人を傷付けるのならそれは愚かな行為だ。間違った事をしていないのに、肩身を狭くする必要はない。

 もしそんな愚かな人間達で構成されているのが世間だと言うのなら、僕はその世間に受け入れられなくても構わない。自分の大切な人を守る為に行動し続けるだけだ。これまでもこれからも。

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