『劇場』は、劇場にて

 僕はパイプ椅子に腰掛けてその舞台を観ていた。舞台には2人が暮らしていた部屋が再現されている。原付を壊した代わりに彼が買った自転車も脇に置いてある。小さなテーブルの上には電球の照明がぶら下がり、そこにはかつて生活を共にした男女の抜け殻が漂っているようだった。舞台が始まるとすぐに、自分が客席に座っているという感覚は薄れていき、僕の二つの瞳が宙に浮いて定点カメラのように物語を見つめている。知っていると思っていたはずなのに、北沢川の夜桜を見てみたいと思った。

 僕のすぐ側で、小さな息子が小さな寝息を立てて眠っている。とても小さいから世界中の誰も気付かないくらいかもしれない。その彼の隣でパソコンの画面をずっと見つめていた。キッチンを背にして座椅子に座っている。漏れている明かりがちょうど画面に反射して見辛い。音声をそのまま流すと息子が起きてしまうだろうから、僕と妻はワイヤレスイヤホンを片耳ずつ付けて舞台を観賞することにした。片方からしか音が聞こえないのは不思議な感じがするが、聞こえる音声は2人とも同じなので何も問題はない。

 ぼさぼさの髪の毛を振り乱し、地面にできたいくつもの水溜りをひっくり返しながら永田は下北沢の街を駆け抜ける。沙希が夜働いているお店は、2人が暮らした部屋からはどれくらいの距離があったのだろう。自分が変われないことを誰よりも知っているけど、変われないということを誇っているわけではないから素直になれない。恋人を傷つけていることも知っている。自分の身に余るような純粋な心の持ち主は、屈折した心の人間にとっては恐怖の対象となってしまうのだろうか。

 自分が住んでいる街で、見覚えのある風景が何度も出てくると実際に自分の足で歩いて確かめたくなる。僕が観ているのはフィクションではあるけど、実際の街にはフィクションではない現実的な時間が流れている。そしてフィクションでも、現実世界でも時間の経過によって物や人が変化していくという点は同じだ。僕が知らないだけで、そこに住んでいる人間の数だけ物語が続いている。生きている限りそれはずっと続いていく。流れた時間の全てを作品に詰め込むわけにはいかないから、切り貼りした時間の中に映し出される2人の思いが浮かび上がる。

 本当なら映画館に出掛けて観るつもりだった。諸々の事情で公開が延期され、配信された『劇場』を家で観ることにした。又吉直樹さんの小説が原作になっている。ハードカバーと文庫本どちらも自宅の棚に収まっていて、どちらも読んだ。永田と沙希の結末を原作で知っていても、目を背けたくなる気持ちは常にある。自分に重なるとか、恋愛がどうとか大それたことは言えない。物語は続いていく。舞台上で演じられるのはフィクションでも、2人で過ごしたことは互いに必要な時間だったんだと思える。

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