色白かも
今年は例年よりも早めに半袖短パンで過ごしているから、少しずつ肌が日焼けしてきている。元々色白だから、海などに長時間行くとすぐに真っ赤になって皮が向ける。フィットネスクラブで働いていた時、お客さんがほとんどいない時間帯に僕は粘着テープのローラーを転がしながらフロアを歩いていた。いつもと違う事は見当たらなかったけど、床にはなぜか細かいゴミが散らばっていた。フロアを一周した後確認したら、歩き始めた所に同じようなゴミがまだ残っていた。取り逃がしたはずはないと思って、もう一周するけどまだ残っている。そしてふと足元を見て気付いた。そのゴミの正体は僕の足が日焼けした後、剥けて落ちていた皮の残骸だったのだ。
今日も朝起きると息子が元気よく泣いて、お腹を空かせているようだった。僕は朝が強くないので、中々すぱっと起きられない。立ち上がりはするのだけど、頭が冴えてくるのに少し時間が必要だ。カーテンを開けて夜がとっくに明けていることを息子に知らせてみる。彼が気付いたかどうかは確かめようがないけど、少しだけ眩しそうに瞼を閉じるから光が射しているのは分かっているはずだ。
息子が家に帰って来てからずっと様子を見ていて、自分とは違って色黒かもしれないなと思っていた。普段の状態だと、僕よりも妻の方が色が黒い。黒いと言っても軽く日焼けしたような色味だ。その妻の肌の色に似ていると思っていた。ただ一概にそうも言い切れなくなってきた。毎日沐浴を続けているからなのか、全身の薄皮がどんどんと剥がれ落ちてきている。そして元々色白の人間が血流が良くなっている時のような赤みが肌に見られるようになった。今の状態では断定はできないが、彼も色白なのかもしれない。
色白なのは置いておいて、僕が暑がりでタオルが手放せないので、息子も同じとなれば洗濯物が随分と賑やかな事になりそうだ。代謝がいいのならそれは問題ない。潜在的には健康体なのだから。昨日と今日はあまりぐずる事もなくお腹が膨れたらすやすやと眠ってくれているのがありがたい。夕飯を久々にゆっくり食べられると、昨日は妻と話をしていた。
今日は土曜だから仕事はない。昨日までは子どもに気を配りながら、同時進行で最低限のタスクをこなしていたけど、今日は余計な事は考えずに息子の世話に集中できた。それでも平日の溜まった疲れが抜け切っていないような感覚も同時にある。子育てとはこういうものだろうか。体力勝負と事前に聞いていたけど、自分の体力なら心配ないと思ったいた。でも身体をそれほど動かしていなくても、意思疎通が思うようにいかないことで大なり小なり消耗するものだなと感じた。
悲観しているわけではない。そしてこれから先も悲観することはない。この疲れだって心地良い。そう思えるほどの価値ある時間を与えてくれているから。今僕は、何を与えられているだろう。