生きれる、もっと自由に
こうあるべきとかこうするべきと思っていたことは、本当はもっと自分の好きなようにしていいのかもしれないと思えた。大学3年生の1年間の留学で得たものはかけがえのないものになった。
カナダでの留学生活で演劇のクラスを履修する傍ら、日本各地や諸外国からの留学生と交流する機会もあった。リンキンパークを聞き始めたのもイラン人の留学生に教えてもらったのがきっかけだったし、韓国のお酒を初めて飲んで泥酔して朝まで友人宅で寝過ごしてしまったり、良いか悪いかは別にして思い切ったこともある程度できるようになった。
自分は徹底的に英語をマスターしたいと思っていたので、日本人の留学生同士でも英語で喋るように努めた。もちろん他の日本人留学生にそれを強要することはできないが、同じ大学から留学にきた仲間には理解してもらえた。カナダから日本に帰る飛行機で日本語を喋るまで、彼らとはほとんど日本語で会話しなかったと思う。当時ミクシィをやっていたのだが、そのチャットでも英語を使うことを徹底するほどだった。僕が実践した方法が間違っているとは思わないし、もっといい方法があったかもしれない。しかし徹底した実践のおかげか、留学半ばを過ぎた頃から、英語を喋る時に頭の中で言いたいことを日本語を介してから英語に訳して喋ることが少なくなった。とても大きな手応えを感じた。
留学生の中には、そんな徹底した姿勢を認めてくれて、日本人留学生でありながら英語で喋ることに協力してくれた人もいた。そんな彼らとは今もたまに連絡を取ったり、連絡しないまでもSNSで様子を伺い知ることができる。自分の考えや希望を素直に伝え、相手もまた素直に意見を言ってくれる。時には背中を押してくれるし、助言もくれる。最終的に自分が決めたことは尊重してくれる、そんな関係がとても心地よかった。
余談、というか今の生活スタイルにかなり直結していると思うのだが、筋トレを始めたのもこの留学中だった。リジャイナの大学の体育館には室内トラックとジムが設置されていて留学生も含め自由に使うことができた。かなり本格的なトレーニングマシンが並べられており、充実した運動ができた。日本に帰っても必ず続けようと決めた。
そして留学していた1年が過ぎ、日本へ帰る時がやってくる。仲良くなった日本からの留学生達もそれぞれ日本の学校に戻っていく。もしかしたらもう二度と会うことはないかもしれない。ただ彼らと出会わなければ今の自分はないとはっきり言える。日本に帰ったら、もっと伸び伸び生きようと決意して帰りの飛行機に乗り込んだ。