育児記録
押入れの中の数冊の育児・出産マニュアルはもちろん役に立っている。しかしそれらを差し置いて、より現実的な子育ての様子が垣間見えるのは、僕の母が書いた育児記録だ。今日はずっとお腹が空いていたのか、あまり長い時間寝てくれなかった。数時間置きの授乳も、泣く度に与えて抱っこしてを繰り返して、ご飯もゆっくり食べられなかった。だから時々僕が授乳枕を使って様子を見るのだけど、落ち着いたと思って僕が気を抜いているとまた泣き出した。
昨日は初めて家で沐浴をした。見たことのない顔をした。目が半開きで口を窄めている。とても気持ち良さそうだ。妻が身体を支えて僕がボディソープを手に取って洗う。自分が風呂に入る時の癖なのか、泡を出し過ぎてしまうのだけど、新生児は代謝がとてもいいからお湯だけでも綺麗になるそうだ。代謝がいいのは羨ましい。僕は普段あまり年齢を重ねたと感じる場面は今のところあまりないのだけど、それでも息子の回復力にはきっと敵わないだろう。
敵わないだろう、とか言っていると幼過ぎる息子と張り合っていて大人気なく聞こえる。でも息子に負けたくないと思うのは悪いことだろうか。僕はそう思っていない。息子の可能性を閉ざしたり、選択肢を失くすということではなくて、遅かれ早かれ子は親を超えていくものだから、それを前提として自分が息子に取っての糧になれればと思っている。もっと言えば、子が巣立っていっても僕の人生は続いていくわけで、自分を高めていく為に行動し続けることはむしろ健全な心意気だ。それがある時は親子関係に起因することもあるし、子が自立した後の生活による場合もある。
だからと言って、範馬勇次郎を目指しているのではない。あのような親子関係を否定はしないが、僕がそれをやったら身が持たない。というか不可能だ。巨大なアフリカ象を素手で倒したり、人をタオルにようにバサバサと振って車に叩きつけたりはさすがに過激過ぎる。漫画として純粋に楽しめればそれでいい。僕は運動神経がいい方だとは思っていないけど、息子は指が長いと言われる。一時期バスケットボールを片手で掴めれば上達すると思い、指を目一杯広げてボールに手の平を押し付けていた頃が懐かしい。
分からないことがあっても、今はネットで調べれば大抵は解決策がどこかで見つかる。子育てだって例外ではない。本屋に行って関連する書籍を探すのもいいけど、情報というのは古くなっていくから今日の常識が明日の常識とは言い切れない。またどんなに専門的に書かれた書籍を読んでも、自分に余裕がなければ冷静に受け止めることは難しい。そして書籍を書いた人間は自分に近しい人物ではない事がほとんどだから、苦しい状況を実際に目にしているわけではないでしょ、と言いたくもなる。
今日1日授乳しっぱなしだった妻が、シミがたくさん付いた水色の育児記録のページをめくる。書いてあるのを読む限り、僕の母もほとんど休憩なしで母乳を与え続ける日があったようだ。自分だけではないんだと思って、少し元気をもらったと僕に言う。それで僕も少し元気になっていた。