子育て2日
この先息子はどれだけ僕らと同じ家に住み続けるのか正直さっぱり分からない。本人の希望もあるし、思ったよりも早く家を出て自分のやりたいことをやって生きていく予感もする。昨日彼が家に帰って来てから初めての夜が明けた今日、僕はもう既にエネルギーを使い果たそうとしていた。いくら新生児だからと言って、僕は機械のように24時間動き続けることはできない。子どもの為にという気持ちで奮い立ったとしても、何も飲み食いせずいたら自分が誰かにお世話になってしまうかもしれない。これからその力加減を掴んでいく。
まだ2日目が過ぎ去ろうとしているだけの今でも言えることは、子育ては楽しいということだ。もちろんずっと楽しい気持ちでいるわけではない。我慢して辛抱強くならないといけない場面に、既に何度も出くわしている。成長して自我が芽生え出したら、それはエスカレートしていくかもしれない。人の意見を聞くことは必要だけれども、僕は最後には自分で決断して生きて来たから彼にもそうあってほしいと、まだ言葉も話さない今から強く願っている。
まだ2日間しか一緒にいないが、とても素直な子だと我ながら思っている。その素直さは本能的な赤ちゃん特有のものではあるけど、大人として羨ましく思う。お腹が減ったら泣き、満足したら眠りに落ちる。排泄をしておむつが気持ち悪くなったら、とても不快な表情を浮かべている。しかもこちらの都合はあまり関係ない。カウントダウンが終了に近づくに連れて盛り上がるように、泣き声の音量は増していく。悪気は一切ない。自分の感情にとても素直なだけだ。自分も昔はこうだったのかなと、一体この素直さをどこに置き忘れて来たんだろうと不思議に思う。
今日1日世話をしながら考えた。父親にしか出来ないことは何だろう。僕が抱っこして毎回泣くわけではない。でもお腹が空いた時にはお手上げだ。やはり母親の方が安心するんだろう。父さんは母乳が出ないことを感覚的に知ってるんだろうか。残念ながら僕が母乳を出せない事は事実だ。僕が母乳を出したらそれは「父乳」になるのか。なぜここまで父親と母親の身体の作りが違うんだろう。それには何か意味があるんだろうか。人間を作った誰かがいるのなら尋ねてみたい。考え続けても一生掛かっても、その答えは見つからないかもしれないが。
でも父親にしか出来ないことは、子育てを通して見つかる気がしている。成長してコミュニケーションが取れるようになったら気付くかもしれないし、ある日突然お告げのように分かる日が来るかもしれない。今という瞬間があってこその未来なのだから、とにかく自分に出来ることをひたすらやっていくだけだ。それしかない。幸か不幸か、在宅勤務でずっと家に居ることも出来ている。世界がまだ混沌としている中でも、希望はあると信じて向き合っていく。