コット
レンタカーの後席には、いかついベビーシートが取り付けられていた。元々の日程を毎日ずらし続けて、やっと今日運転することになった。昨夜はベビーシートのオプションをキャンセルする変更を確かにしたと思う。本当ならそこには息子が座って、家族3人で家に帰るつもりだった。でも今日は2人で帰ってくる。3人で帰って来れないわけではない。ただもう少しだけ時間が必要なだけだ。ここ数日はとても落ち込んでいたけど、妻の顔を見て安心した。寿司でも食べようかと言いながら、荷物を抱えて雨が降る中を駐車場に急いだ。
入院する病室はすぐそこだった。その奥には「分娩室」と書かれたエリアがある。こんなに病室と分娩室が近いのなら、きっと誰かの分娩の様子も手に取るように伝わって来るんだろう。分娩が終わった人達にとっては、あまり思い出したくはない記憶も蘇って来るのかもしれない。僕も実際に、息子の動画に偶然入っていたであろう女性の叫び声を耳にした。正直どれほどの痛みや苦しみなのか想像も付かないし、今まで僕が経験した痛みの総量を合わせてもそれには足りないかもしれない。
新生児用のキャリーベッドを押しながら、妻が息子を新生児室に預ける。僕はナースステーションの近くに置かれた大きなテーブルの椅子に座って2人の姿を見つめていた。妻が押しているのだから、それは間違いなく息子を乗せたコットに間違いないのだけど、彼の姿を肉眼で捉えるには難しい距離だった。小さな何かが横になっているかもしれない、くらいの感覚でしかない。黙って立ち上がり、向こうに駆けて行って、彼の顔を一瞬でも覗いてみてもいいと思った。怒られるかもしれない。自分が我慢することで、より多くの人の為になるというのは、客観的に感情を捉えている時にしか聞き入れられない。
僕は椅子に座って、妻だけが来るのをじっと待っていた。荷物を抱えて歩いてくる。人影はまばらで、時々病室から人が出てきて歩いているのを除けばとても静かだった。ガラス越しに木々や植物が茂った庭が見えるけど、今は出られないらしい。雲と雨しかない今日こそ、太陽の光が頼りなのに、その姿を見せる気配は全くなかった。そう言えば駐車場に着いてからすぐに、ヘリコプターが近付く音がした。それは次第に音量を増して、やがて一定の轟音を響かせていた。機体は見えないのだけど、それは間違いなく病院のヘリポートに着陸したはずだ。そうとしか思えない音だった。
コットが新生児室に入ってからはあっという間に時間が流れた。今日1日で1週間分妻と喋った気がする。あちこち出掛けて、足りない子ども用品を買い足したりもした。今晩もコットの中で眠りと覚醒を繰り返す我が子を思いながら。