何度目かのバス

 実家にいた時も、東京で生活し始めてからも、僕がバスに乗ってどこかに移動することはほとんどなかった。どこに行くにも電車が走っているし、本数が多いから不自由はない。時間帯によって人がたくさん乗っていて混んたり、座る席がないことを除けば、かなり便利な交通手段であることは誰も疑わないはずだ。妻と息子が入院している病院には電車とバスを乗り継いで通っている。必要な物品を届けるという名目で、病院に滞在する時間の何倍もの時間を掛けてこの1週間は通っていた。

 明日息子を残して妻だけ退院することにした。自ら進んでそうしたわけではない。出来ることなら妻だけでも、息子が退院出来るまで側にいられたらと思う。ただ妻は体調に問題なく、元々の退院予定日を過ぎた状態では、医療費としてみなされず、実費で料金が掛かってしまう。それもホテルであればそこそこの施設に泊まれるような、決して安くはない金額だ。もちろん僕はお金が惜しくて決断したのではない。病床に空きがある限りは入院の延長は認められる。ただ悔しいけども、僕は際限なくお金が使える人間ではない。そして退院した後も、手も掛かるしお金も必要になる。少し先の未来のことも無視は出来なかった。

 そんな状況でも救いなのは、病棟のスタッフの皆さんがよく息子の面倒を見てくれると妻から聞いていること、そして僕自身も妊婦検診の時から印象がずっと良かったということだ。多くを知っているわけではないけど、信頼に足る人達だと思える。僕は医者ではないから、どれだけ詳しく医学的に説明されても、息子だけを病院に預けるという選択肢を鵜呑みにして受け入れることは簡単ではなかった。とても辛い時間を過ごした。自分の思い通りにならないことは、これまでにも何度かあったはずなのに、過去のことは忘れてしまう。

 息子の経過自体は順調で、おっぱいもよく飲むし排泄も盛んらしい。泣いておっぱいをせがんでも、飲み終わったら満足して気持ち良さそうにすぐ眠ってしまうそうだ。僕も食べたらすぐに眠くなる。寝付きもいいし、夢も時々見る。でも彼が時折見せるような爽やかな微笑みが浮かんでいたことはあっただろうか。自分では静かに眠っているつもりでも、いびきは結構かいていると妻が教えてくれる。

 電車とバスに揺られ今日も出掛けた。駅前の広場には全身を鼠色に塗って、お坊さんのような格好をした男性が座っていた。そう言えば昨日も同じ場所で見た。有名なパフォーマーかもしれないが、僕は心当たりがない。今日は土曜日だからだろうか、バスに乗り込んでくる家族連れが目立った。正装しているから冠婚葬祭の帰りなのかもしれない。世界は僕が打ちひしがれている間にも、着実に前に動いている。僕が辛いと思っている時に、自分よりもっと辛い状況にいる人達を想像したからといって、苦しみが薄らぐわけではない。それは比べられるものではないから。でも幸せも同じことで、僕には僕の幸せがある。取替交換の効かない幸せが。それを力一杯抱きしめてこぼさないように、守れるように強く生きて行きたい。

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