足首の薄皮

 今夜も僕はひとりで眠る。梅雨の雨の中を傘をさして歩いている。2本あった傘が1本だけになっていて、記憶を辿ってみた。そう言えば病院の帰りにコンビニに寄ったかもしれない。その時に傘立てに忘れたのかもしれなかった。雨は午後から降り続けていて、北澤八幡宮に向かう道には水溜りが幾つもできている。足首に軽い痛みを感じた。サンダルを履いた足を見ると、それが繰り返し触れて薄皮が剥けていた。歩き方を工夫して何とか痛くならないように挑戦したけど、ダメだった。

 「周りを見ても危機感がないから」と言って街頭インタビューに若者が答えていた。周りって誰の事を言ってるんだろう。身近に専門家の友達でもいるのだろうか。まさか医療関係者や専門家、研究者でもない周りの人の様子を見て大丈夫だと思っているんだろうか。「自分は何の知識もないけど、あなたはきっと大丈夫」と言われて鵜呑みにしているんだろうか。いざとなったら誰かが身代わりになってくれると思っているんだろうか。一番会いたい人に直接会えず、待つ事しかできない人間の気持ちを考えたことがあるか。僕はあなたという人間を何も知らないが、言葉には人間性が滲み出ることは知っている。

 他人のことは一切気にならない。どんなに自分が期待しているのとは違う事態になっても動じない。前向きな感情をガチガチに塗り固めて、絶対に揺れないようにしてしまえたら、落ち込んだり悲しくなったりすることもなくなるかもしれない。機械のように必要な燃料だけ定期的に摂取して、必要な作業だけを繰り返す。もうこの文章が既に味気なくなってしまっている。血の通わない文章だ。こんな文章は書いている僕も気持ちが滅入ってくる。ただでさえ今日はブログを書く気持ちにはなれなかったから。

 でも自分で決めたことすら投げ出してしまったら、僕はきっと支えを失ってしまう。たったひとつの文章で世界を変えることはできないかもしれないが、自分がどんな人間なのかを思い出すことはできる。人間は忘れていく生き物だから、きっと辛いことや嬉しいことで心が揺さぶられることこそが人間である証だということを思い出す必要がある。鋼で心を固めてしまったら、それはもうロボットと何ら変わらないと思う。でも揺れれば揺れるほど、その反動はとても大きい。もうこれ以上は自分では抱え切れないと思う程に。まだ言葉にできるからいいのかもしれない。それでも誰かに伝えようとして言葉にした途端に、正直な忠実とは言えなくなってしまう。

 人間として生まれて、僕は絶えず揺れながら生きてきた。それはおそらくこれからも変わらない。四六時中ずっと自分を強く保てるわけじゃないから。でもそうあれたらといつも願っている。

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