似ている
真夏のとても暑い日だったんだろう。カメラを向けている父の姿は写っていないけれど、僕はケチャップの付いたフランクフルトを両手で持ってパンツ一丁で歩いているところだった。でも様子がおかしい。食べたいと言って買ってもらった食べ物を手にして、ひと安心している顔ではなかった。よく見るとフランクフルトの表面のケチャップが拭われているようにして無くなっている。そして視線をお腹に移すと、こぼれたであろうケチャップがはっきりと付いていた。どこかで落としてしまったのかもしれない。見るからに不本意な表情を浮かべてカメラに近付いていた。カメラにではなく、カメラを構えていた父の方に。
その写真はまだフィルムカメラが全盛期の時代に撮られ、実家の押入れのアルバムに挟まっている。父はビデオカメラも持っていて、写真だけではなくて動画もたくさん撮っていた。プラスチックのケース一杯にカセットテープが入っている。今はそれを再生する機械を探す方が難しくなってしまって、このままだと再生できずにゴミとして捨てることになってしまうかもしれない。今度実家に帰ったら整理して、 DVDとかに焼けるならそうして、家族や自分の息子と一緒に見たいと思っている。
当時は海苔の養殖が盛んだった海岸への散歩道。砂浜に挙げられた養殖で使う船の縁に座らされて、祖父母と一緒に写真を撮った。自分の脚で漕いでも前に進めるおもちゃの車に乗って、座席後方から伸びるハンドルを持った祖母がそれを押してくれた。幼い僕は漕ぎ方が分からなかったのか、押されていることにも気付かず、勝手に進んでいく不思議な乗り物とでもいうような顔をして喜んでいた。それから20年以上が経って、息を引き取って静かに横たわる祖母を前に「育ててくれて、ありがとう」と声を詰まらせながら父が泣いていた。最後まで優しかった祖母が愛情を注いだのは、間違いなく僕の父親だった。
生まれたばかりの子どもは、目が大人ほど見えていないという。目の機能は完成しているのに、使い方は時間を掛けて習得していくのだ。僕もきっと色々な能力をそうやって獲得してきた。目が見えていないというのは、何も分からないということではない。視界がぼやけていても、それ以外の感覚が色々と働いている。ぼやけてはいるけど、確実に目の前にあるであろう何かや、自分を見つめている誰かを捉えようとしている。保育器の透明なアクリルに囲まれ、母親に向かって手を伸ばしては見るものの、こつんと何かに当たる感触だけが残る。それがまだ自分の手なのか何なのかよく分かっていないぐらいの身体で、でも決して小さくはない手が何かを掴もうとしている。
狭いなぁ、と思っているのかもしれない。予定日近くまで粘ったからしっかりした身体で生まれてきた。母親に抱っこしてもらいたいのに、してもらえなくて泣いている。しかめっ面の顔が、かつてフランクフルトを落として嘆いていた幼い頃の僕の顔とそっくりだ。妻がラインをくれた。「病院では毎日赤ちゃんが生まれてる」と。僕は新生児室に並ぶ赤ちゃんひとりひとりと顔を合わせることはないだろう。でも自分の息子だけではなく、赤ちゃん達皆が幸せに生きていってほしいと心から願った。