キングコング
ヘリコプターが巨大なゴリラの周りを旋回している。機関銃やミサイルの攻撃を受け続けるゴリラは、巨神と呼ばれる規格外のサイズの身体からは想像もできないほどの身のこなしで、次々と飛び回る蝿を叩き落とすようにヘリコプターを破壊し続ける。彼は守り神とされているから、本当は心優しいゴリラのはずなのに、その瞳には激しい怒りの炎が宿っているようだった。僕は身体を横にして、冷凍庫でキンキンに冷えたアイス枕を厚めのタオルで包んで頭の下に入れた。部屋の元気を消して、地上波で流れていたキングコングを見終わった後も、うとうとしながらチャンネルを変え続けていた。
次に目が覚めた時にはテレビの電源は付いていなかった。電源を自分で切ってから眠気に耐えきれずに目を閉じた所までははっきりと覚えている。ほんの一瞬だけ現実の時間の中に自分が身を置いていないような気がしたけど、はっとしてiPhoneの画面をタップする。僕は前日の朝に、陣痛で苦しむ妻を病院に残して帰宅し、その後の連絡を待っていたのだ。あと数時間で、昨日病院に到着してから丸一日が経過しようとしていた。その間にもラインで定期的に状況を伝えてくれていたが、大きな問題はなさそうだった。時間配分で言えばいささか遅めらしいのだけど、もう僕は妻と病院の助産師や医師、そして我が子を信じるしかなかった。そう決めて妻に手を振って帰宅したのだった。
妻からラインが来ていることに画面を見て気付いた。陣痛が来てから随分時間が経っていた。促進剤を使うという手段も現実的ではあったらしいのだけど、助産師の後押しもあって自然分娩で最後まで粘ったようだ。早朝3時前に我が子は産声を挙げた。分娩室で横たわる妻からのテレビ電話に、僕は寝起きの酷い顔で出た。生まれたという事実に、僕の感情が追いつかない。眠りこけてしまったせいで、頭も目も覚めていなかった。妻はきっと体力的にも壮絶だったはずだから、キングコングを見ていた僕など何もしていないに等しい。出来ることは全てやったという落ち着きだけが心を満たしていた。
自分の2つの目で直接見るまでは、我が子の写真や動画は見ないと言っていたのだけど、僕はそこまで我慢強い人間ではなかった。僕の声はまだ彼には届かないけれど、彼の声は聞きたかった。小さな身体で子宮の外の世界に適応しようとしている。小さな身体と言ったけれど、実際は肉付きがよくて体重もしっかりした数字だ。立派な男の子だった。親戚は姪っ子が多くて、最初は女の子がいいななんて何となく思っていたけど、そんなことは考える必要すらなかった。血を分けた我が子であるだけで愛おしい。「愛おしい」という言葉がかろうじて僕の気持ちを表わしてはいるけど、それで充分とは到底言えなかった。