工房の隅のランドセル

 東京オリンピックの年がやって来る少し前から、どこかで燻っていたものが大きくなって世界を変えてしまった。2020年になってからもう半年が過ぎようとしている。生活が一変してしまって、毎日の行動も変えざるを得なくなって随分時間が経った。状況がよくなったと手放しでは喜べない。悲観ばかりしていては解決策はいつまで経っても見えないものだけど、たくさんの人の命が奪われてしまっている。僕には世界を変える力はないかもしれない。どう頑張っても人類の救世主にはなれそうにない。でもこの世界に新しく生まれるもの達には、希望は必ずあると伝えられる。

 今朝いつもより早く目覚めたのは地震があったから。目覚めたというより、起こされたと言った方が正しい。目を開ける前から揺れ続けていたか定かではないけど、マンション全体が揺れる感覚ははっきりと伝わってきた。何もない時は毎日の生活は当たり前の連続で、特に頭を使わなくても大抵の事は日課として過ぎ去っていく。地震で揺らされているのは、そんな当たり前だと思っている日常生活だ。天気のいい日に賑わう街を歩いていて、突然大きな地震が来るかもしれないと絶えず想像する人間がどれくらいいるだろうか。

 昨日たまたま通り掛かった下北沢のある工房兼ショップ。地下には工業用のミシンが並べられ、エプロンをした職人さん数人が作業を行っていた。その上の階段を上った所がショップになっていた。最近オープンしたらしい。元々は代々木に工房があったそうだが、手狭になったので移転したそうだ。代々木から下北沢に移転するのならそれなりにお客さんが付いているように思えた。そうでなくても、店内は革の匂いに溢れ、手作りされた製品が並んでいて職人の拘りが感じられた。鞄や財布には凝っていて鞄屋にはよく足を運ぶけど、ここまで革の匂いが濃い店は初めてだった。

 店の棚の一番奥に、革のランドセルがひとつ置いてあった。もちろん今すぐ僕がランドセルを購入する理由は何もないのだけど、機会があったらぜひ手に入れたいと思った。僕はそもそも小学校で全員がランドセルを背負っていること自体に否定的な人間だ。ランドセルと一口に言っても今は色やデザインが色々あって、最早学校に持っていく鞄をランドセルに限定する意味がないように思う。それでもこの先ランドセルがまだ学校から指定され続けるのなら、革で出来たランドセルにしたい。タンニンが時間の経過と共に酸化して色が変わっていくそうだ。だから入学した時と卒業した時とでは色が変わる。色の変化に過ごした時間を想う。丈夫だから誰かに引き継いで使ってもらうのもいいし、別の革製品に作り直すこともできるだろう。そうやって時々物にまつわる思い出に耽りながら年を重ねて行けばいい。

 明日の世界がどうなっているかは朝目覚めて見なければ分からない。僕が変えられるのは今の自分の行動だけ。絶え間なくやって来る今という瞬間に何を積み重ねられるか。何を省いていくのか。何を伝えられるのか。

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