「道具」

 僕が上京する前、まだ実家で暮らしていた頃の話。当時働いていた会社の近くで中学と高校の同級生が働いていた。働いていた会社は別で、同じクラスになったこともほとんどなかった。お互いを全く知らなかったわけではない。ふとした時に幼稚園のアルバムを見返していると、幼い彼の写真がそこにあった。そうやって後から気付くことは多い。最近出会ったばかりだと思っていた人と自分の繋がりが、実は僕が認識するよりもずっと前からあったということとか。

 その同級生とは別々の会社で働いていたけど、実際は親会社と子会社のよう関係だった。やっている事業はあまり関連があるとは言えない業種だったけど、ごく稀に仕事で頼み事をするようになった。ある時彼に、作業で使う為の道具を借りた。もう5年くらい前のことだから詳しい経緯は忘れてしまったが、借りたその道具を返し忘れた時にすごく叱られたことをはっきり覚えている。それは物凄い剣幕だった。そんなにムキにならなくたっていいじゃないか、なんて言わせないぐらいの気迫。

 彼があんなにムキになっていた理由を、僕はもっと想像力を目一杯使って事が起こる前に対応していればよかったと思う。後日彼に会って詫びた時には「他の人に借りたから何とかなった」と明るく言っていたのが救いだった。彼の仕事はそれがなければ成り立たない事を僕は身を持って知るべきだったし、職種が違えど自分にだって手元になくては困る物は必ずあるはずだ。散々想像力がどうのこうのとブログでも書いて来たけど、自分への甘さが拭えない。今もずっとそんな自分と格闘し続けている。

 「道具」という言葉の意味を全く考えることなく使ってしまっているけど、今一度その意味を調べてみた。①物を作る、もしくは何かをする為に用いる器具の総称。きっとこれが一般的で万能的に使っている「道具」だろう。②他の目的の為に利用される物や人。…あんまりいい響きのする言葉には聞こえなくなってしまった。テレビの見過ぎか。③身体に備わる様々な部分。手足を道具のように、というけれど手足は既に道具だったということか。④芝居の大道具や小道具、武具、仏道修行の為の必需品。そんな意味もあったことは知らなかったけど、体験的に知っていた気がする。

 その道を極めるのに必要な物が道具ということだ。その道は普段打ち込んでいる仕事かもしれない。スポーツ選手だったらその競技で使う道具だろうし、それらの道具を作る人達はその道具を作る為の道具を使っているわけで、人間が生活していく上で欠かせない物だ。そもそも僕の肉体自体も道具になり得るということ。事をなす為の肉体、聡明な思考、そしてそれらが統合された人間としての自分。自分の肉体と精神の延長線上にある物であり、既に生まれた時から手にしている物が道具という言葉に詰まっている。

 地元で働いていた同級生の彼は今どうしているだろう。彼は覚えていないかもしれないが、僕は彼に叱られた事を鮮明に覚えている。彼の肉体の延長線だった道具の取り扱いを誤った。道具は彼の肉体の延長線であり、彼自身の一部だったのだ。突然その事を思い出して考えてみた。生まれてからの33年間ずっとこの肉体という道具を手にしていたのに、まるで分かっていなかった。でも気付けてよかった。ありがとう、僕はもっと強く生きていける。

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