少ない数で多くを

 電話をしたい。写真を撮りたい。動画を撮りたい。ネットサーフィンをしたい。僕が初めて携帯電話を持つずっと前には、それぞれの目的を果たす為にそれぞれの機能を備えた別々の機器が必要だった。父が最初に使っていた携帯電話は折り畳むことができなかった。それでも固定電話に比べたら随分コンパクトだったのは間違いないけど、ポケットに入れるとそこに電話が入っていることはすぐに分かった。それから少しずつ複数の機能を持つ電子機器が登場して、ひとつあれば自宅でも出掛けている時でも事足りるようになった。今僕はその恩恵を充分受けて生活している。それでも手に持つ物はより少なく、できることはより多くなることを望んでいる。

 電子機器だけの話ではない。本当に自分にとって必要な物が何なのかを最初からは分かっていなかった。今も完璧に把握しているとは言い切れないけど、昔よりは分別が付くようになったと思っている。生活していれば多かれ少なかれ問題というのはやってくるものだから最初から完璧な対策を施すのは中々難しい。便利だと思っていた家具も、生活環境が変化することで使い勝手が悪くなることだってある。住んでいる家も、家族の人数が増えれば同じ床面積でも狭く感じるはずだ。僕はまだ妻と2人暮らしだけど、直に子どもがやってくるので実感するかもしれない。

 それも見越して今月は色々と物を処分して少しでも部屋が広くなるように取り組んだ。マットレスの上で身体を動かす度に軋んでいたセミダブルのベッドフレーム。譲り受けた液晶テレビが載っていたガラスの台。粗大ゴミに貼り付けるシールをコンビニで買わないといけないのだけど、これほど短期間でまとめて購入したことは今までなかった。ベッドは軋むだけではなく、壁との間に湿気が溜まりやすくなっていて重量もあるから掃除がやりにくかった。壁にも少しカビが生えてしまっていたので捨てることに決めた。

 台の方は、特別不便だったわけではない。目立って大きく邪魔になっていたわけでもない。強いて言うなら、テレビの大きさと合わずに壁際で少し場所を取っていたくらい。天板がガラスになっていてその下に物が置けるスペースがあった。以前はそこにPlayStation4を置いていたけどゲームをやらなくなってしまったので何も置かなくなった。ゲームをやることはないが、映画を見たりはしたいのでAmazonプライムやディズニーをMacとテレビを繋いで観ている。DVDを再生する為だけに機械を購入したことも今まであったけど、それすらも不要になった。

 僕は腕時計をしていない。自分のシルエットが左右非対称になるのが嫌だからだ。厳密に言うと人間の身体自体が完全に左右対称になっているわけではないから、時計をするしないはあまり重要ではないのかもしれない。時計をしたくないというより、時計をしなくても時計で得られる情報は別の方法で得たいと思っている。時間はスマホを見れば分かる。スマートウォッチという手段もあるけど、見た目にはこだわりたいから手は出さないだろう。物が少ない方が幸せかどうかは人それぞれだけど、物の数よりも経験の総数を重視して生きたいと思う。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

未分類

前の記事

吸ったのは
未分類

次の記事

遅れること