月明かりに照らされて

 黒いワイヤレススピーカーの青いランプが点滅している。僕はiPhoneとそのスピーカーを接続した。点滅していた青い光は、今度はじっと点灯し続けている。アプリを開いてフジコ・ヘミングのピアノ演奏を集めたアルバムを流した。窓辺には薄い緑色のティーカップの上に乗った月の形をした電飾が置かれている。淡いオレンジ色の光を放つその月明かりの中で、僕はじっとピアノの音に耳を傾けていた。スピーカーからだけ聴こえていたはずの音は僕の周りの空気を震わし、辺り一体に漂っている心地がした。

 まだ6月だが夜寝る時にもエアコンを付けっぱなしにするようになった。住んでいる家は湿気が溜まりやすいのか、通常の冷房だと湿度が変わらず何となくじめっとしている。エアコンを使い始めた時は28°Cに設定していたが、僕が寝汗を掻き続けるので最近は27°Cの除湿にしている。設定温度自体は低くはないが、エアコンと一緒にサーキュレーターを使っているので部屋の空気が常に動いている感覚がある。なので実際は設定温度以上に涼しく感じている。

 いつ生まれても大丈夫と言われてからの日々は、もしかしたらそれより前の9ヶ月間よりも長いのかもしれない。毎晩眠りにつく前に、今日は出てくるかもしれないと妄想しながら朝を向かえることになる。物事にはタイミングというものがあるけれど、それは大人に限った話ではなく、ましてや母親のお腹の外にいる子どもだけの話でもないんだろう。親が焦っていても仕方がないと思いながら、直接顔を見たい気持ちはどんどん強くなっていく。

 夜になって雨が止みかけていた。傘をさして歩き出したけれど、その内に小雨になって傘を濡らす雨粒は増えなくなった。傘を畳んで軽く払う。居酒屋から若者が千鳥足で連れ添って出てくる。まだ終電までにはしばらく時間があるだろうが、もう飲み疲れて家に帰るのだろうか。天気の良い日には大人が寛いだり、小さな子ども達が駆け回っている広場は夜の闇に静まり返っている。その入り口近くの柵に向かって若者達3人が背を向けて並んでいた。考えたくはないけれど、どう見ても小便をしているようにしか見えない。自分が住んでいる街でそんな光景を見るのはやはり気分が悪い。億劫な気持ちになって家に帰ったら、月は変わらず部屋で灯っていた。

 ドビュッシーの『月の光』が流れて終わる。僕はフランク・シナトラの『My Way』を次に流す。スピーカーから聴こえてくる曲は、CD音源のはずなのに時々レコードの針が途切れるように微かにブツブツと鳴っている。ぼんやりと照らされた薄暗い部屋の中で、僕はコンビニで買ったペットボトルの麦茶の揺れる水面を、瞼を支え切れなくなるまでずっと眺めていた。

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