世界の行く先
毎日知ることになる数字に一喜一憂して、安心したり不安になったりする。もうかれこれ数ヶ月そんな状態を繰り返していると、現在も続くこの状況は実は何も起こっていなかったんじゃないかと思う時がある。そう思う根拠があるわけではなくて、ただ自分が不安になりたくないから何もなかったと思いたいだけなのに。毎日数字を見て聞いて一喜一憂する段階は過ぎているのかもしれない。同じ行動を繰り返すだけでは、状況から何かを学んだとは言えない。結局のところ、僕はいつだって自分にできることを精一杯やるしかない。
推定体重3,200g。赤ちゃんの体重だ。体重の数値からいうといつ生まれても問題がないとのことだった。NSTと呼ばれる胎児の状態を数十分間モニタリングする日だったので、僕は待合室で音楽を聴きながらこれからの事を色々と想像していた。一番最初に掛ける言葉、退院して家に戻ったら何を最初にするか、などキリがない。これから始まり、おそらくあっという間に過ぎ去ってしまうであろう日々を大事に過ごしたい。
何度来ても病院という場所には慣れない。注射が苦手で、医者にあまり僕が行きたがらないという事を差し引いても、そこは僕にとっては不思議な空間だ。確かにそこには肉体を持った人間がいるのだけど、肉体よりも肉体の芯にあるものが濃い色で浮かび上がっているように感じる。生きているとか死んでいるというのとはまた違って、生き物としてのエネルギーみたいなものが漂っている気がする。歩いているのは、人間の形を持った生命の塊のように見える。
小さい時から遊んでくれていたおじちゃんが入院して、まだ意識がなく目を閉じていた時、彼の身体の色が薄く見えた気がした。後になっておじちゃんが目を開けてわずかばかりの反応を示していた時には、その色が濃くなった。生きようとする強い意志を感じた。言葉を問題なく喋れたとしても、果たして僕はそれだけの強い生命力を口から発することができるだろうか。それぐらいの違いを感覚的に知った。医者の白衣が優しく翻って、そこかしこに座る人達の輪郭を撫でていく。
僕の息子は、おそらくは男の子でほぼ間違いないということだけど、NSTの約40分間のモニタリングの途中で眠ってしまうことがあったらしい。検査の為にお腹の中で起こされる気分はどんなものだろう。起きているのか寝ているのかを自分で分かっているんだろうか。彼だけが知っている感覚であり、外に出てきたらその後思い出すことはないかもしれない。妻のお腹に耳を当てても声は聞こえない。声の代わりに力強く子宮を押し返してくる。確かにそこで生きている。生きようとする確かな意志を感じられる。
状況は必ず良くなる。良くならないということは、自分にできることがまだあってそれを試していないのかもしれない。状況を前に進める為には行動がまだ足りないのかもしれない。終わっていないのだから、今からだって始められる。