親の役割
もし僕がこの先、子どもとどう向き合っていいか分からなくなった時に、大切なことを思い出せるように書く。子どもは父親と母親の血を受け継いではいるけど、子どもが生きていくのは父親とも母親とも違う彼だけの人生だ。親がレールを敷く、という言い方もあるけど最終的に敷いたレールに沿っていくのは本人の意思であってほしい。そもそも僕は彼が満足するようなレールが敷けるとは思わないし、彼のレールは彼自身で敷いて行けばいいと思っている。
自分の行きたい場所へ向かう為のレールを敷く為に、僕は彼に何ができるだろう。レールと言ったが、鉄道みたく脱線しないように計算されているわけではない。急に曲がったり、来た道を戻ったり、途中でレールが終わってしまうこともあるだろう。自分の思い通りにならないことだってたくさん起こる。だから必要なことは、レールの敷き方ではなくてどんな状況にあっても自分でレールを敷き続けるという意志を持つことではなかろうか。
レールを敷き続けるということは、言い換えれば進み続けるということでもある。今いる場所に留まり続けることなく、変化を求め続けて行動し続けることだ。ただそれは一時も立ち止まらないということではない。機械のように燃料を入れて走り続けられれば時間を無駄にしなくていいかもしれない。ただ機械だって動き続ければ発熱するし、部品は擦り切れて壊れてしまう。機械と人間は違うけど、人間だって激しく動き続ければ消耗する。
消耗し過ぎたなと思ったら、消耗した分を回復する術を分かっていること。分かっているのならそれを迷わずに実行することだ。もしかしたら消耗し過ぎたと自分が思っていても、その様子を見た他の誰かに尻を叩かれるかもしれない。それでも自分が限界だと感じたのなら、迷わずに立ち止まればいい。立ち止まった時間で蓄えられるものをありったけ蓄えたら、次に進み出す時には驚くほどの力で走り出せる。休んでいる時間に他の誰かは動き続けていると思っていても、彼らも人間だ。
僕自身は、自分の両親に甘やかされたとは思っていない。甘えたいと思った時にはそうさせてくれたけど、僕がこうしたいと思った気持ちをいつも尊重してくれていたし、今もそうしてくれている。僕も親としてそうありたいと思っている。親の役割というのは詰まるところ、ありきたりな言い方をすれば、ひとりの人間として自立することに尽きるのだと思う。自分の足で立つ。自分の行動の責任は自分で取る。
自分の思い通りに生きていくということは、実際のその厳しさと言葉の間にかなりの隔たりがあるように思う。それでも恐れずに、自分が決めた道を信じて進もうとする意志を力の根源にして歩みを止めないでほしい。