お釣りはトレイで
駅上の商業施設の下着専門店で、気に入った1点をレジまで持っていく。プレゼントをすると言って鞄から黒い長財布を取り出す。事前にコンビニに寄って余分に引き出して来たので会計には困らない。店員さんに商品を渡して2,000円分の現金を銀のトレイに置いた。その後にレジを打つ為にトレイを下げた時も、わずかばかりのお釣りを渡される時もその店員さんは一切僕の方を見ることはなかった。ただそれで何か不快な気分になったわけではない。僕が妻と訪れたそのお店が、女性用の下着専門店だったということと何か関係があるのかなとふと思ったという話。
もしかしたらこのご時世だから、積極的な接客がし辛いということは考えられる。妻と一緒に入店したが、妻にも声を掛けることはしていなかった。お店としてもリスクを避けつつ営業をしているんだと思う。営業できない店舗も少なくないと聞くから苦肉の策ではあるんだろう。ただ肝心なのは、僕が冒頭で話した場面が会計の時だったということ。僕らと店員さんの間には透明なスクリーンが置かれているし、お金のやり取りなので必要最低限の会話しかしない。目線を移動するだけならリスクはないはずだ。実質的には妻の買い物なので彼女に目配せするのは当然だとして、僕に目を合わせないというのは何か理由があるのだろうか。実際に店員さんがどう思っていたかは確認しようもないが、少なくとも僕は目を合わせなかったと感じている。
お金を払ったのが自分だからその出来事に固執しているわけではない。男性の僕が女性用の下着売り場に行くのと、女性が男性用の下着売り場に行くのと印象がそこまで違うのかなと疑問に思ったのだ。男性と女性の立場でそれぞれ感じることは違うはずだから一概には言い切れないが、商品の購入者という立場で言えば大きな違いはないと思う。積極的に声を掛けてほしいと要求していのではなく、当たり障りのない普通の接客であればなと思った。その普通というのが最も振れ幅が大きいのだけど。
妻が初めて妊娠した時に診てもらった病院でも感じたことだけれど、男性に対して何となく閉鎖的な雰囲気の漂う場所がある。女性にとってもそういった場所というのは少なからずあるだろう。それなのに男女平等という言葉があまりにも一人歩きしているようでならない。僕が女性用の下着売り場に行ったり、妻の診察に付き添ったり、出産の立ち合いを強く希望している根底にあるのは責任感と愛情だ。そうではない理由で訪れる人もいるかもしれないし、恐い思いをしている女性店員さん達がいることも確かだ。だからといって僕はその閉鎖的な雰囲気に飲まれて、自分の気持ちを蔑ろにはしたくない。
もしかしたら僕の顔が怖かったのかもしれない。妊婦検診に付き添ったが、外は暑くて時間も掛かったから疲れていたのが表情に出ていたのかもしれない。どんなに納得できないと思っていたことでも、冷静になると自分とは全くの無関係とも言い切れないことはある。常に自分を省みることは忘れないようにしなければ。そう思った梅雨の日の午後。