雨を振り落とす

 6月の雨は優しい。月が変わると台風の何号が発生したとかいうニュースが少しずつ聞こえてくる。梅雨の時期よりも、梅雨が終わった後の方が雨が降る日が多い気がしている。からっからに空気を乾かしておいてから一気に降ってくれれば、もう少し過ごしやすくなるかもしれない。アスファルトから込み上げていた熱気は、風に撫でられてどこかに行ってほしい。花火はまだ湿気っていて季節ではない。下北沢には花火を打ち上げられるような広い場所はないのだけど。

 窓ガラスにはぶつかった雨粒が細かい水滴になってたくさん張り付いている。そこから覗いた通りを歩く人の姿は、色とりどりの傘に隠れて足元しか見えない。所々にできた小さな水溜りに広がる波紋が、まだ降り続ける雨の存在を静かに知らせてくれている。すぐに取り出すとわかっていても、買い物に出掛ける度に半透明のビニールで傘を包んでいる。出入り口に置かれたゴミ箱は、その使い終わった袋で一杯になっている。傘から滴る水滴を防ぐ為だけに使われ捨てられる袋。そしてそれを躊躇することなく使い続ける人間の僕。

 雨の日にはなるべく濡れたくはない。東京のスーパーには広々とした駐車場が多くはない。ただそれが不便かどうかという話になると、また違った見方になる。そもそも車でスーパーに来店するお客さんがあまり車では来ないはずで、僕を含めた大抵の人は徒歩か自転車で通うことになる。雨に濡れるか濡れないかで言ったら、入り口にどうしても人が集まって一斉に傘を畳もうとするから軒先からはみ出してしまう。そうなったら雨粒がひとまとめになった水を少し被ることになる。

 雨足が強い日には辿り着くのが億劫になるのだけど、実は店内は空いていることが多い。だから傘を畳んで一度中に入ってしまえば、比較的ゆっくり買い物ができる。事前にスマホのメモ帳に購入予定の品を書いておくから迷うことはない。突然思い立ったように食べたい物が思い浮かぶことはあるけど、衝動買いにならないように気を付ける。もうすぐレジ袋が有料になるらしいから、事前に用意した自前の買い物袋を広げて買った物を詰め込んだ。

 劇場の近くの雑貨屋で、大きなトラックが数台立ち往生している。雑貨屋の入り口付近に停めてあった車が通路を狭めて通れないのかもしれない。そう言えばさっき店内放送でもそんな内容の事を言っていた。想像力が欠如した時、大抵その時には誰かの大切な時間を奪っていることが多い。これまでに僕が誰かの時間を奪うような行いがなかったかと問われたら、絶対にないとは言い切れない。煮え切らない気持ちや過去の苦い思い出は、雨と一緒に水に流してしまえたらと思うけど物事はそう単純ではなかった。

 しばらく雨が降ったり止んだりを繰り返しそうな季節だ。北沢川の紫陽花はまだ花が開き始めたばかり。家の近くの土にはカタツムリが殻の中でじっとしていた。雨はきっといつか止むのだから、降り続ける雨に気を取られ続けないように今日も前を向いて歩く。

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