夢で終わらない話

 前日の夜にほとんど締め切っていたカーテンのわずかな隙間から日光が割って入ってくる。まだ少し肌寒い春先。タオルケットに反射した光で僕は目覚める。コーヒーは飲まない。小学生の時にコーヒー牛乳を飲んだのを最後に口にしていない。全くではないが、好みに合わないから目覚めの一杯は白湯か牛乳だ。頭がまだ少しぼぉっとしている。パーカーを羽織って玄関の扉を開ける。通りにはまだ人影がない。空にはまばらに薄い雲が浮かんでいるけど、風が吹けばあっという間に消し飛んでしまいそうなものだった。

 午前中にトレーニングをしたい。寝起きで行うのは身体にも負担だから、朝早めに起きて近所を散歩する。東京に来てからは、実家にいた時よりもよく歩くようになった。車で移動するのが当たり前だった生活から、公共交通機関を使うのが日常になる。電車に乗らない時は歩いて移動する。iPhoneの歩数計が時々10,000歩を超える時があって驚く。車の移動よりも疲れるから、夜は割と早く眠りについてしまう。でもそれはとても良い習慣だ。

 散歩から帰った後は自宅で身体を動かす。一部屋はトレーニング部屋兼書斎となっていて、激しく動いても家族の眠りを妨げないようになっている。僕は季節を問わずかなり汗っかきだが、部屋に備えられた空調のおかげで不快な環境にはならずトレーニングに集中できる。マシントレーニングも行うが、その数は必要最低限。そのマシンひとつで全身を隈なく鍛えられる。昔から続けている自重と道具を使った腕立て伏せはもちろん外せない。好きな音楽を聴けるようにオーディオも備える。有酸素マシンは置かない。散歩したり、どこかに出掛けたりした時に身体を動かすので充分だ。

 外出は家のガレージに鎮座しているフェラーリだ。赤い車は好きではないから色はホワイト。タイヤのスポークは細く鋭利なデザイン。サイズは太く大きい。エンジンは座席と後輪の間に積まれている、いわゆるミッドシップというやつだ。無駄な贅肉のない鍛え上げられたアスリートのようなフォルム。静止状態でもその速さが分かるほどの存在感。乗り手を選ぶというけれど、その存在感を食う人間になっている。アスファルトを蹴って動き出す前から既に美しい。運転席に乗り込んでしまえば僕は四方をフレームやらボディパネルやらで囲まれる。決して余裕がある空間ではないが、運転に集中させてくれる。レーサーではない。安全運転を唱えながら回転数は跳ね上がる。

 …僕の夢の話。夢で終わらせるつもりはないのだけど。

 潰えることのない夢の途中。考え得る限りの最高の自分になる。そうなるにはどうすればいいか。僕が中学生の時に不登校になって以来、ずっと向き合ってきた課題でありこれから死ぬまで追い続けることになる目標だ。

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