海老好きであっても
海老カレー、海老チリ、海老と卵炒め、後は…ちょっと思い付かない。気に入ったらそれしか食べないし、それしか作らない。だからレパートリーが増えていかないのが細やかな悩み。それでも食べたら満足してしまうから次も同じ物を作ってしまう。安い食材ではないから、出来ることなら海老は脇役になってもらうくらいで、何回かに分けて使えたらと思っている。今日も三日先までの献立を考えながらスーパーへ向かう。そして迷わずに鮮魚コーナーで海老を探している。
時々トレイに生きたままの車海老が数匹入って売っている。生きがいいとは言えないけど、小さな足を細かく動かしている。一度生きたままの海老の殻を剥いて食べてみたことがある。もちろん疑いようもなく海老の身は弾力があってみずみずしい。身にありつくには殻を剥かないわけにはいかないが、それが中々の剥きづらさだった。何とか身から殻だけ剥がしたいのに、微妙に身も崩れてしまう。僕の剥き方も悪かったのかもしれないが、それなら剥いた後の少し時間が経って甘みが増した物を頂きたい。
赤い有頭海老も売られている。こちらは残念ながら動いてはいない。一応刺身で食べられるのだが、微動だにしない。彼らはいつも5尾くらいで収められている。僕はカレーの出汁を取る為に買っている。もちろん身は刺身で美味しく頂く。生きた海老とは違って殻も格段に剥きやすい。良いとか悪いではなくて、口に運ぶまでのストレスは少なくなる。刺身はとても甘い。大味でもなく先端に少し味噌の風味が残っている。殻や頭からはいい出汁が出てカレーがうまい。旨味を搾り取り尽くした残骸は捨ててしまっているのだけど。
そして値段の割にパックに詰められた海老の数が一番多い物がいつも海老チリになっている。海老チリになる彼らは死んでいる。そして加熱用だから生では食べられない。賞味期限が数日先だから、別の献立に入れ替えたりして臨機応変に調理出来る。海老チリ以外の料理はしばらく作っていない。作る気が起きない。やはり海老チリが一番美味しいと思っているから他の選択肢は中々選ばない。一食のコストもそこそこ掛かるメニューなのだけど、これからも作り続ける。
海老の話で約1,000文字書いた。たった1,000文字では海老の全てを語り尽くすことなど到底不可能なのだろうけど。魚介類の中で一番海老が好きだ。美味しい魚介類も他にたくさんあるし、何も美味しい食べ物は魚介類に限ったことではない。海の物だけではなく、大地の養分をたっぷり蓄えて僕らの舌を唸らせる野菜もある。僕の身体はこれまで口にした様々な食べ物が細かくなって取り込まれ、材料になったり消費されたり不要になって排出されてきた。それは今も続いている。「頂きます」という言葉は、これまで食して身体に吸収されていったあまたの食物への感謝の印なんだと思っている。