弱いと知っても
何かを始めて、そのままやる気を保ち続ける最上の方法は何か。きっと誰しも考えたことがある疑問が頭をもたげるのは一回だけでは収まらない。当の僕にしても例外ではない。今日は暑くてだるいから休憩日にしようか、とか結構な頻度で思い浮かんでしまう。その浮かんだ考え自体が、まるで禁忌事項のように感じてしまう時がなくはないが、自分が特別な人間として生きているわけではないんだなとも思う。特別に見える人間だって、僕が知らないだけで葛藤を抱えながら走り続けているんだ。
出来るだけ、自分が目にするものや耳にするものが毎日同じになってしまわないようにしたいと思っている。例えばスマホで流す音楽や、夕食の献立、そして読んでいる幾つかの本達だ。スマホで聴く音楽は、特に筋トレをする時はずっと流しっぱなしだ。B’zを好んで流すが、その中でもある程度速いテンポで疾走感のある曲を十数曲プレイリストにしている。身体を動かしている間、ずっと曲を意識的に聴いているわけではない。苦しくなって来た時に、曲が盛り上がっていると思って踏ん張る。それで腕が上がる時もあるしそうでない時もあるけど、気持ちが先に折れることはほとんどない。
流石に筋トレしながら本は読めない。仮に読めたとして、どちら一方にしか集中できないから両方中途半端になって後味が悪い。本を読むのは、説明し難い不安や苛立ち、そして考え込んでいても一向に晴れない思考に囚われている状態から一時的にでも抜け出したいと思うからだ。もちろん純粋に楽しみたいという気持ちもあるのだけど、身体をほとんど動かさずに静かに目線だけを動かしている状態から、激しく身体を動かす為に気持ちを切り替えることは思ったほど苦ではない。それよりはずっと張り詰めた状態で、それを維持したまま更に身体を酷使する方が辛い。
全く別のことをしていて、本当にやりたいことをやり出すと、行動に移す前に考える時間が短くなるからいいのかもしれない。今日はやろうかどうしようかと迷っていると、段々妥協したくなってくる。明日にしようと思っても、その明日はまだ来ていないのだから明日になるまでずっと考え続けることになりがち。囚われ続けて、やる前に疲れてしまうのかもしれない。余計なことを考えずに、というのは何も考えずにというわけではなくて、ひとつの思考に囚われるなということだと思う。忘れたとしてもいつかまた思い出してしまうかもしれない。思い出したら、出来るだけ早く手放してしまった方がいい。それを何度も繰り返したとしても。
ロボットのように最初だけプログラミングして、後は半永久的に目標に向かって行動し続けられたらと思う。でも僕はロボットではない。人間の僕は弱い。そして弱いなりに強くありたいと思っている。だからあれこれと試行錯誤しながら歩みは止めない。