10分間

 10分間会えなくても、きっとそれ以上ない幸せが3人を包んでくれると信じている。僕が出産に立ち会わないことで、より多くの人のリスクを軽減出来るのなら僕は病院の方針に従う。でも正直な気持ちを言えば、妻のそばにいてこの世界で初めて彼が声をあげる姿を直接目に焼き付けたいと思っている。その瞬間は過ぎ去ってしまえば絶対に再現されることはないのだから。親のエゴと言われても構わない。例え実現が難しいと分かっていても、自分の本心を語るのに誰に何を恥じる必要があるだろうか。

 10分なんてあっという間に過ぎてしまう。2人が退院した後、3人で過ごすであろう時間に比べたら一瞬のことだ。ぼーっとしていても忙しくしていても時間は元には戻らないから、その10分で僕に出来ることを考えてみた。まずは10カ月間、苦しい思いをしながら子どもを宿し続けてくれた妻を抱きしめたいと思う。出産でかなり体力を消耗するだろうから力一杯とはいかないけど、ありったけの感謝の気持ちを伝えたい。

 僕もかつては母の子宮で10カ月間を過ごしていたけど、多くの人がそうであるように胎内の記憶を鮮明に覚えてはいない。正直全く覚えていない。どれだけたくさんの人に、気にかけてもらい心配され祝福を受けながら生まれてきたのかはかなり後になってから気付いていく。子宮の中が快適なのかどうか僕には検討が付かないけど、出産の時にはある程度赤ちゃんも苦しい思いをする段階があると聞いたことがある。へその緒が繋がっているとは言っても、出てくる先の世界はこれまで一度も足を踏み入れたことのない世界なのだから、不安な気持ちにもなると思う。そんな状況でも出てきてくれるのだから「ありがとう」だ。

 もう生まれたみたいに書いたけど、まだお腹の中にいる。昨日の検診でも特に問題はないとのことだった。もらってきたエコー写真は何が写っているのかよく分からなかったけど、元気ならそれでいい。現に今日も朝から妻のお腹を押したり蹴ったりしている。僕が呼びかけても静かにならないから、僕のことを前よりも警戒しなくなったということなのか。そう思いたい。

 今日は2人でタオルを買いに出掛けた。下北沢にある今治タオルのセレクトショップに向かう。太陽が照り付け、暑くて汗が止まることはなかった。その店にはいくつかの種類のタオルが置かれている。サイズもハンカチからバスタオルまで大小様々だ。家で使っているタオルはたくさんあるのだけど、長年使っているからなのか肌触りが荒くなっている物もあったので、新しく用意することにした。値段はピンキリだったが、今回は手触りと使い勝手のバランスを考えて4枚購入することにした。いつも家で筋トレをしながら大量の汗をタオルで拭っているが、新品を最初に使うのは僕ではなく子どもの為にとっておきたいと思う。

 その時が来るまで、僕は我が子の産声を直接聴けるかもしれないという可能性に縋りたいと思う。叶わなかったとしても、心に思ったことはなかったことには出来ないのだから、希望はそのまま取っておく。

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