すごいお母さん達
僕がどれだけ身体を鍛えても、陣痛と出産の痛みにはおそらく耐えられそうにない。夜眠る前に陣痛から出産までを収めた動画を予習代わりに見ているのだけど、お母さんごとに個人差が大きくて一概にこうだとは言えないように感じる。立会い出産が叶うかどうかはまだ分からないけど、せめてどのタイミングで病院に行けばいいかの知識くらいは身に付けておきたいと思っている。夕飯を食べて一服した直後くらいに病院に行けたらなんて思っているけど、こればっかりは思い通りにはいかない。
出産の痛みに耐えられそうにないと言ったが、それは可能かどうかを試すことすらできない。生理的に妊娠できないという大前提があって、その痛みの代わりに僕には何が出来るだろうとずっと考えている。子どもが生まれてからだって落ち着かない日々を過ごすことになるはずなのに、出産時点で体力的にも精神的にもかなり消耗しているはずだ。それにも関わらず我が子を胸に抱き寄せるお母さん達の表情には、痛みよりも喜びと安堵の表情が浮かんでいた。
陣痛の痛みと、深夜や早朝に病院に向かうことで耐え難い眠気と格闘するお母さんを撮影するお父さん達も登場する。気を紛らわせるように話しかけたり、痛みをやり過ごす為にしっかり手を握り合ったりしていた。僕が妻の手を握ることでどれだけの痛みが和らぐだろう。でも他に出来ることは多くはなさそうだ。陣痛が始まって生まれるまでの時間を一緒に過ごせるかどうかが定かではない今の状態でも、お腹の中では小さな命が大きくなっている。
今日の夕飯は焼きサバとご飯と味噌汁というシンプルなものだった。僕はお腹も張らないし、食欲もあるのでいつも通りに炊飯器からご飯を茶碗に盛って魚の骨を外していく。妻はきっとそんな風には思っていないとは思うが、何だか僕は何不自由なくご飯を食べてるなと考えた。身重の妻が満足に食べられないからと言って、僕が少ししか食べなければこれから子育てで体力も使う時期なのに本末転倒ではある。感じているのは罪悪感ではない。悪いことをしているわけではないのだから。ただ少しだけ申し訳無さを感じる時がある。
母はいつも台所に立って、食事の用意をしていた。冷凍食品とかもあっただろうにいつも手作りの料理を食べた記憶しかない。手作りだからいいとか悪いとかではなくて、子どもや伴侶の身を思って手間を惜しまないという姿勢は、言葉以上に相手に何かが伝わると感じている。食べ終わった食器を洗って片付ける。買い物リストを作ってカゴを片手にスーパーの中を忙しく移動する。身体が元気な時は何でもないことも誰かが代わりにやってくれたらすごく助かるし嬉しい。
ありきたりな言葉だし、これまで何度も口にはしてきたけど、子どもが無事生まれた時には母にももう一度言いたい。産んでくれてありがとうと。