何年振りかの冷や麦
故郷で過ごした夏の日。網戸が張られたサッシの向こうから、蝉の鳴き声が鼓膜に賑やかに響いていた。額から流れ落ちる汗が止まることは稀で、扇風機の風が撫でるように熱を奪っていくのだけど、風が通り過ぎた後はまた熱が籠り出す。鍋一杯に沸騰したお湯に向かって、白く細長い乾麺が飛び込んでいく。硬めの食感が好きなので、短い茹で時間でザルに開けられるのを期待するのだけど、いつも少し緩めになった。素麺は僕には細すぎるから、夏は冷や麦を啜っていたい。
白米と麺類どちらが好きかと問われたらいい勝負になる。炊きたてのご飯も好きだし、麺類も大好きだ。共通して言えるのは、どちらもある程度の歯ごたえがある方が好みだということ。白米なら炊飯器に入れる水の量は少し少なめにするし、家で麺を茹でる時はパッケージに書かれている時間よりも1分くらい短めにしているし、お店に出掛けた時はなるべく硬めにしてもらっている。但しうどんの硬さを好みで調節できる店には入ったことがないので、ほぼ毎回冷たいうどんを注文している。
今日は日曜で夕飯の用意をする気力があまり起こらなかった。簡単な物で済ませたいと思って冷や麦を思い付いた。昨日も一昨日も塩焼きそばを作って、今日も塩焼きそばにしようかと思っていたけど流石に3日連続はしんどくなる。暑くなってきたし、涼しげでさっぱり食べられる物がいい。でもあまり火はたくさん使わずに出来る物。結論、冷や麦になった。スーパーに冷や麦は1種類しか見当たらなかったが、国産小麦100%と書かれていたので期待出来そうだ。薬味に大葉も一緒に買って店を後にした。
太陽はもうどこにも見えない。昼間はたくさんの人が歩いていた通りも、今は数えるほどしか人影が見当たらない。街に活気があるのはいいことだと思う。皆が早く伸び伸びと外に出て何の気兼ねもなく過ごせたらと思う。その反面、いつもよりも早く静まり返る下北沢も、やはり下北沢以外のどの場所でもない。街灯近くのベンチで缶のお酒を片手に話し込む人もいるし、閉店間際の居酒屋の入り口で次の行き先を相談する人達もいる。流れる時間は誰にも止められない。限りある時間の中で、どこまでも膨らんだり縮んだりする感情を抱えながら生きている。
たっぷりのお湯で茹で上げた冷や麦は、細かく切ったネギと刻んだ大葉ととても相性がいい。粉になった山椒を少し振りかけると香りとほのかな痺れが清涼感を増す。冷凍庫の氷をいくつも割って麺の上に置いておく。氷が少しずつ溶けて麺同士がくっつくのを防いでくれる。400gあった麺はあっという間に無くなってしまった。ラーメンと違ってあまりお腹に溜まらない感じだ。これからもっと暑くなってきたら出番が多くなりそうな気がしている。
夕飯を食べた後に散歩に出掛けた。シャッターが降りているお店がある中で、幾つかの店からは小さな灯りが漏れていた。通りを歩く人はもうほとんどいなくなっていた。でもきっとまた、いつまでも人の絶えない下北沢が戻って来るんだろう。