加減を知らない
晴れの日は暑い。曇りの日は涼しい。雨の日は肌寒い。進んだり戻ったりを繰り返しながら季節は確実に移り変わっていく。毎年同じような経験をしているはずなのに、「今年は寒暖差が激しい」なんて言いながら汗を掻いたと思ったらタオルケットが手放せなくなったりしている。今年も例外ではなく今日は久しぶりに外が寒かった。部屋の大部分を占拠しているベッドフレームを捨てた後に鎮座する予定のすのこと、消毒用のアルコールが午前中に立て続けに届いた。こんな雨の日でも、生活を支える為に荷物を運んでくれる人達がいる。ネットで決済ボタンを押す時に、どれだけの人が彼らの身を案じているだろうか。
以前にも増して胎動が激しい。動いているのが初めて分かった頃は、僕がお腹に話しかけると静かになっていたので、もう人見知りが始まっているのかと思っていたけど、今はもうお構いなしで動きまくっている。しかも夜これから寝るぞという時に限って活発だ。具体的に身体のどこをどう動かしているのかは全然分からないのだけど、頭が下で足が上だと想像しながら、パンチかキックかひとり押しくら饅頭でもしているんだろうかと思う。覗けるものなら一度くらい見てみたい。
僕が母の身体から出てきた時には3,600gを超える体重だったそうだ。今の体格とその時の体重に関連があるのかは定かではないけど、ある時期を境に一気に身長が伸びるまでは特に目立って大きかったわけではなかった。むしろ平均的な自分の身長に酷く嫌気が差していたくらいだ。親戚のおばちゃんは何度も「大丈夫だよ」と優しく励ましてくれたけど、伸びてほしいと思っていた時期はとっくに通り過ぎていた。
ようやく身長が伸びたのは大学生になってからだった。成人式があって地元に帰った時に何人かの同級生にあったが、皆小さくなっていた。厳密に言えば誰も縮んではいなくて、ただ僕の身長が伸びただけ。あれだけ身長を欲していたのに、いざ背が伸びて彼らに会うと思ったような感動は得られなかった。おそらくその当時はもうそこまで身長に執着してなかったんだと思う。大学生活も想定していたより充実していたし、海外留学を控えていたから自分の未来に起こるであろう出来事に気が昂っていた。
「お母さんの子宮はサンドバッグじゃないぞ」と言ったところで、彼にはきっと聞こえていないだろう。もうかなり中が狭くなっているんだろうか。加減を知らないのか、妻は時々苦しそうだ。彼なりに狭いスペースの中で必死に動いているんだろう。お腹が減るタイミングが分かっているのか、僕らが食事の用意をしているとお腹をぐぅっと押すらしい。何か食べてほしいと伝えているんだろうか。大人のそれと比べたら、信じられないような速度で成長している。僕が出てきたのと同じくらいの体重で生まれてくるかもしれない。
何gで生まれてきたとしても、その命はとても重いことに変わりはない。その姿を網膜に焼き付けたいと思う。写真や動画ではなく、僕のこの二つの目で。