もう一度だけ、もう一目だけ会えたら
東京の恋人達にとって、渋谷のハチ公前で待ち合わせるのは一種のセオリーみたいなものだろうか。誰も待ってはいないというような澄ました表情を作っているつもりでも、内心はとても動揺している。日も暮れて街の灯りは華やかさを増し、人々の騒めきは大きくなるばかりだ。約束の時間になって、しきりに辺りを見回す。落ち着いた雰囲気を醸し出すと事前に考えていたのに、全然落ち着かなかった。このままドタキャンでもされたらいっそ楽かもしれないなんて、自分から誘っておいて最低なやつだった。
約束の時間をほんの少しだけ過ぎてやってきた君は、今まで見たことのない服を着ていた。それともただ今まで見逃していただけなのかもしれない。初めて2人でご飯を食べた店に、その後何度も通って話をしたことは覚えている。真剣に話を聞いてくれて、相槌を打ってくれて笑ってくれる。もしかしたら笑われていたのかもしれないけど、それはどっちでもよかった。望んでいたのは彼女と過ごす時間だったのだから。
誰かを好きになると、その人がまるで世界の全てであるかのように思った。確かに身体はここにあって目で見えているのに、心を遥か遠くまで放ってその人の姿を探していた。今どこにいて何を考えているのかも分からない。君の想像している世界の隅っこにでもいられたらと思う。たった一言声を掛けることさえ、その先の日常をひっくり返してしまうんじゃないかと根拠のない不安に迫られ臆病になる。時間が解決してくれると、これもまた根拠のない理屈を唱えるのだけど、時間の経過によって2人の関係がよくなることはないと同時に理解している。
「またね」と伝えてしまったら、もう二度と君に声を掛ける機会はなくなってしまうとする。次に会う時を最後に、二度と会うことが出来ないとする。愛するということの意味も分からずに、誰かを強く想って惹かれあった過去に何の意味があるのだろう。忘れなければいけないと必死に思いながら、通り過ぎる人に姿が重なる。思い残すことなどないはずなのに、唯一の恋だったと思っていた。行く先のない心がどこまでも浮遊し続け、落ち着く先を求めていた。
大人になる為には、一度くらいは身を焦がすほど誰かを好きになることがあってもいいだろう。花火が消えてしまった後の、そっと握った手の温もり。最後くらいは明るくと思って手を振って見送った後、枯れることがなかった頬をつたう涙。いつまでも消えることがないと思っていた行く宛のない感情を抱えている間に、それは自然と居場所を見つけていく。山崎まさよしの『One more time, One more chance』を聴いている間に、今日も東京の街が寝静まっていく。