6時過ぎの下北

 6時過ぎに目を覚ましたのはいつぶりだろう。家で仕事をするようになってから初めてのことかもしれない。いつもならただトイレに行って二度寝の為にすぐに布団に潜り込むのだけど、今日は少し外を歩くことにした。特別な理由もなく、特別でもない朝の下北沢の空気は今の季節らしく涼しい。お気に入りのパーカーを羽織って玄関を出る。人はほとんど歩いていない。道を歩く人がいないからといって、賑わっていないわけではない。人の気配があちこちからしているようだった。生活の気配を確かに感じる朝だ。

 いつもと同じ道をいつもと同じ手を握って歩く。井の頭線はとっくに動いていて、時々軽トラや中型トラックが止まって荷物を降ろしている。マフラーからの小刻みな排気音が、走り去る原付とは反対方向に勢い良く逃げ出していた。自転車も数えるほどではあるけど走っている。あちこちにバリケードが設置されていて工事の日程表が掲示してあった。騒音や工事車両などの各項目があって、それぞれの度合いを丸顔のキャラの表情で表しているようだけど、前回通った時も今朝も全ての項目で満面の笑みを浮かべていた。問題ないってことでいいのかな。

 密集しているビルの上の方から、女性と思われる声が元気よく聞こえてくる。朝の7時前に耳に入ってくる音にしてはあまりにも場違いな感じがするけど、僕が眠っている時間に起きている人もいるということなんだろう。部屋の中の控えめな電飾が開け放たれた窓から少しだけ見えていた。きっと賑やかな夜だったに違いない。その賑やかさを引きずったまま太陽だけがいつの間にか昇り始めていたけど、彼らの夜はまだ始まったばかりなのかもしれない。

 宇多田ヒカルのアルバムを聴きながら夕飯の為に海老出汁のカレーを作っていた。玉ねぎを炒めている時にちょうど『Automatic』が流れていた。7回目のベルで受話器を取るという歌詞のことを何となく考える。8回目でも6回目でもなくどうして7回目なんだろうと。あくまでも僕の個人的な想像という前提ではある。7回目の7。「ナナ」という音が言葉にならないメロディを口ずさんでいるようで耳に心地よかったのではないだろうか。実際に電話のベルが鳴った回数ではなくて、聴いていてスッと入ってくるような響きを意識しているように思えた。

 そろそろTSUTAYAに行ってCDや本を見たい。音楽配信サービスも色々選択肢があって便利ではあるけれど、アナログな僕は時々出掛けてCDをレンタルしてパソコンに取り込んでいる。もしCDを売らなくなった時はどうしようか。電子辞書が普及して紙の本がなくなってしまうのと同じくらいの不安を抱えている。でもCDや本をどれだけ気に入っていてもあの世には持っていけそうにないから、本当に大事なのはそれらを通して得た経験なんだろうな。

 6時過ぎの下北沢ではまだ何も起こっていないように見えた。何者かになりたい人間も、そうでない人間もいるこの街は、まだ夜明けの途中にいるようだった。

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