自分の幸せ

 自分の幸せだけ考えて生きていけるとして、果たしてはそれは本当に自由に生きていると言えるだろうか。「自分の幸せ」と言う時、自分以外の人間はどうでもいいという考えを持つ人は少ないのではないか。身近な家族や友人の幸せを願いつつ、彼らと関わる時間も含めて幸せでいたいという願いが込められているように思う。そして人間の寿命は有限だから、出来ることなら自分のことを理解してくれる人間だけが身の周りにいてくれたらと思うこともあるかもしれない。

 「他人事」という言葉がある。自分以外の誰か他の人の事なのだけど、他人事と思っている時点である程度自分と比較して他人の事を意識してしまっているんではないかと思う。自分は自分、他人は他人と思っていてもそれは既に他人のことを意識している前提で、それを何とか見て見ぬふりをして振り切ろうとしているように感じる。自分が変えられるのは自分自身と割り切り、そこに自分以外の誰かを意識することなく毎日過ごせたらとても気が楽になるんじゃないかと考えている。

 他人の行動を自分の価値観に照らし合わせた時にどうしても納得できない時がある。納得できないからといって、相手が間違っているという確証はよく考えるとほとんどない。そこにはただ自分が正しいと思いたい気持ちがあって、それが冷静さを失わせ勝手にストレスを感じている。根拠のない風習を嫌い、自由な人間の意志を縛る強い力を憎んでいるはずなのに、目に見える形で人間同士の関係性が担保されていることに自分が捉われていた。本当に大切なものは目に見えないと思っていながら、目に見えるものに固執している自分が情けなく映る。

 マイナンバーカードの暗証番号が入力間違いでロックが掛かり、解除の為に役所に向かった。ゴールデンウィーク明けだからなのか行列が出来ていた。午前中に並んで待ったのだけど、時間が掛かりそうだったので出直すことにした。昼過ぎにもう一度出かけたら朝よりも行列は長くなっていたが、人の流れは悪くなかったのでそのまま並ぶことに。暗証番号を設定し直し、いざネットで申請作業をしようとしたら今度は別の暗証番号の入力を間違えたようでロックが掛かってしまった。最初の暗証番号のロック解除の時に、もう片方の番号も初期化するかと言われたのを思い出して後悔した。覚えているから大丈夫と思っていたのに。

 数日前に見たテレビの料理番組を思い出した。あさりの酒蒸しを作っていたので夕飯の買い出しにスーパーに向かった。夕方の風が涼しい。夏は確実に迫っているのにあと少しのところで足踏みしているようだ。今日はあさりが売っていなかったので蛤を買った。貝の出汁が食べたかったから、あさりじゃなくてもよかったんだと思う。家で待っている人に少しでも美味しいと言ってほしくて、今日も僕は家に帰る。その人の幸せを願いながら。

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