痛みのない不安

 痛みがないからといって効果がないわけではない。頭では分かっているつもりでも、いざ筋肉痛も何もないと自分がやったトレーニングが意味のないものに思えてしまう。人間の身体は一見すると姿形が変わっていないように見えても、身体の内部では絶えず代謝によって細胞が新しくなったり入れ替わったり古くなってどこかに行ってしまう。摂生しても不摂生でも身体はそれに適応する形で変化していく。思い描く身体の状態に自動的になってくれたらと思いながら、そうはならない現実を前にして今日も僕は腕立て伏せをやると決めた。

 今日はさぼってしまって明日やればいいじゃないか、とどこかから声が聞こえる。今日さぼったらきっと明日もさぼるぞ、と別のところから話しかけてくる。君に与えられた今日はもう24時間を切っている。今やらなくていつやるんだ、とまた別の声で叱責を受ける。仮にそれぞれの声の主をABCさんとして、僕はAでBでCでもあり3人以外のDさんでもある。幻聴を聞いているわけでもなく、トレーニングのし過ぎで身体がおかしくなったわけでもない。身体にとっては負荷をかけないほうがストレスがないのだから、葛藤という名前を借りて僕の内側で争っているんだ。

 意を決して腕立て伏せを始める。何も考えずにやり始めてしまえばよかったのかもしれない。余計なことを考えていたから、何だか今日は集中し切っていないような感覚があった。重力に抗おうとする力が重力に押し切られるのは毎度のことなのだけど、今日はその押し切られ方があっけない気がした。気温が高かったからかもしれない。午前中は今年一番と言っていいほど暑かった。ジーパンが下半身に張り付いて、上半身はTシャツを着ているのになぜか息苦しかった。

 部屋に戻ってベランダと台所の窓を開けると気持ちのいい風が吹き込んでくる。それでも室温は昨日の昼間より2度弱高かった。気温に関係なく身体を動かしたら汗を掻いてしまうのだけど、今日は特にたくさん出た。プロテインシェイカーに水を入れて、トレーニング中にすぐ手に取れるようにしているのだけど、途中で水を全て飲み切ってしまった。台所の蛇口はすぐのところにあるけど、汗が滴り落ちるので迂闊に動けない。ペットボトルが詰まったままのリュックを背負って起き上がり水を足すのは意外に辛い。

 腕立て伏せの途中で何度もあの声が囁く。完全に集中し切っていれば、雑音としてどこか隅に追いやってしまえる。いつも心と身体の状態が一定であればいいなとも思う。せめて毎日トレーニングの時間だけはそうであってほしいと。でも冒頭にも言ったように、人間は絶えず変化し続けている。そこには僕の意思も少しは加味されているのだろうけど、大部分は必然的にそうなっているんだろう。波に揺られながらも、ずっと前から見上げていた星は今もまだ視界の中にいる。

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