窓辺の月

 部屋の窓辺に小さな月がひとつ置いてある。薄い抹茶色のティーカップの口を塞ぐようにして置かれたその月は、オレンジ色の淡い光を放っている。夜寝る時にはそれが間接照明のように部屋を優しく照らしている。月は衝撃が加わると色が変化する。赤くなったり緑になったり紫にも色が変わる。自分だけの力では光を放つことはできないから、コンセントからケーブルを使って電気エネルギーを必要とする。時々光が強くなったり頼りなく弱くなったりするけど、今はもうこの部屋に欠かせないものになった。

 一昨年の夏に初めてライブハウスでウクレレを演奏することになった時、宣材写真を出演者がそれぞれ用意することになった。僕は幻想的で綺麗なイメージを求めて夜の江ノ島海岸へ出掛けた。昼過ぎに小田急線に乗って1時間弱の道のりの間、想像力を膨らませながら電車に揺られた。まだ8月で夏真っ盛りだったが、その日の夕方は涼しかった。ネットで偶然見つけた白い小さな月は、家で充分にエネルギーを蓄えて準備万端で鞄の中に収まっていた。

 海岸付近の階段に腰を下ろして波音を聞いていた。人はまばらで、遠くのほうでしぶきを上げながら波打ち際ではしゃぐ若者もちらほら視界に入った。ぼーっとしていたら近くを通りかかった若い外国人の男が声をかけてきた。僕が鞄から取り出した小さな月を叩きながら色を変えている光景が珍しかったのかもしれない。英語で話しかけられ「どこで手に入れたの?」と聞かれたのでアマゾンで買ったと答えた。値段を聞かれたけど、はっきり覚えていなかったので高くはないと曖昧に答えておいた。アマゾンなら日本以外からでも購入できるだろうし、もしかしたら彼は今どこかで小さな月を眺めているかもしれない。

 日が暮れて人影もほとんど見えなくなった頃、空にはもうひとつの月がぽっかりと浮かんでいた。雲ひとつない夜に月が海面を照らし、波に揺らめく幻想的な光が縦に並んでいる。空に浮かぶ月にそっと片手を伸ばして掴まえて、壊れないように優しく手元に引き寄せる。手の平一杯に乗った月を見ながら、僕は写真に収まった。本物の月の上に、小さな月を重ねる。僕の手の上の月が照らす海面は相変わらず揺れていた。光の道が僕に向かって伸びている。波は絶えず動き続けて、道は現れては消えを永遠に繰り返すようだった。

 海をしばらく眺めていない。月は今夜も空に現れるだろう。春の心地いい夜も、虫達が喚く暑い夏の夜も月は僕の頭上で光り続ける。月が光っているのではなくて、太陽の光が月を輝かせている。今日も小さな月は部屋の片隅で静かに光を放っている。自力で光っているように見えて、どこか別の場所で何か別のものが生み出したエネルギーのおかげで光っている。地上の人間達も、誰かのおかげで輝いている。

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