時を刻む街
諸行無常と言うけれどそれは人間だけではなく、人間の住む街にも同じことが言える。今年初めに買った冷蔵庫が家に来てからもう数ヶ月が経っている。買い替える直前に水漏れが酷くなり、中の食材があまり冷えてないことも多々あったので買い替えることにした。冷蔵庫が大きくなった分、数日分をまとめ買い出来るようになったのはとてもありがたい。値段が安い時にまとめて買えるので割安な買い物が出来る。そのうちきっと忘れた頃にまた調子が悪くなるんだろうけど、しばらくは大活躍してくれそうだ。
冷蔵庫のように身体を凍てつかせる寒い冬でも、寝苦しい夏の日も僕は寝る時にはTシャツと短パンでいる。春と秋になると、このまま過ごしやすい時間がずっと続くんじゃないかと根拠のない妄想に浸っているけど、すぐに暑くなったり寒くなったりする。僕が意識するしないに関わらず、四季はまるでそれが一生の生業のように絶えることなく巡り続ける。
ほぼ毎日散歩に出掛けている。地面をずっと見続けて歩いているわけではないけど、ふとした時に足元を見る。桜の花びらがアスファルトの間に窮屈そうに収まっていた春は終わりを向かえ、寝苦しい夜が夏の到来を予感させる。一度でも冷房のスイッチを入れたら次の秋が来るまではずっとエアコンを止められない気がして、まだそのタイミングを計りかねている。冷房は使わなかったけれど、今年初めてアイス枕を使った。厚めのタオルに包んでもすぐに冷たくなるのでずっとは使えない。それでも眠りが訪れるまでの短い時間に少しでも火照った身体の熱を逃したいと思う。
少しだけ足を伸ばして、いつもとは違う方角に向かって歩き出した。昼間の太陽は雲に隠され風が強く吹き出した。テイクアウトの料理を運ぶ自転車達が通りを駆け抜けていく。皆決まって同じような黒いリュックサックを背負ってスマホで地図を確認しているようだ。僕は下北沢駅が地上にあった頃のことは全く知らない。初めて下北沢に来た時には既に地下に潜っていて、中々開かないと言われていた踏切跡は誰かに教えられなければどこにあったのかも気付かない。
井の頭線の踏切を渡って緩やかな坂を下っていく。工事中のバリケードのそばで親子連れの数人が談笑していた。以前は何もなかったその場所には新しい緑道のような道と、その道に沿って真新しい建物が並んでいた。枝の細い若葉の付いた木々が植えられ、小さなお店が点在していた。人はまばらで小さな明かりが店内を優しく照らしている。自転車に跨った小さな女の子が老人に肘当ての紐を結んでもらっていた。建物ばかりで気付かないだけで、そこには人間としての尊い営みが繰り返されている。風はもう暖かくはなかったけれど、その光景には確かに懐かしい温もりがあった。