時は金なり

 時は金なり。ことわざを知っていても、その意味するところは分からなかった。今よりずっと若い頃は自分に与えられた時間が有限という意識はなく、いつまでも同じような朝が来ると思っていた。年齢を重ねるということに対しては、今まで自分に出来なかったことが増え続けて知らないことが少なくなっていく前向きな感覚しかなかった。その内に付き合う人が増えて、顔を見たくないと思う人も増えていく。自由に伸び伸びしなさいと言う大人は身の回りから少なくなり、いつの間にか今度はそれを自分が誰かに伝える番になっていた。

 年齢を重ねると時間が経つのが早いと言う。まさかそんなことはないだろうと思っていた。実際のところ、時間が過ぎるのが早いと感じる時もあるし、そうでない時もある。時間が過ぎるのが早い遅いよりも、時間が濃い薄いをとても意識するようになった。濃い時間を過ごしたと思えるのは、やっぱり筋トレでしっかり身体を追い込めた時なのは間違いない。始めるまでは少し躊躇しているのだけど、やり終わった時には気分がすっきり晴れて気持ちがいい。

 裏を返せば、時間が薄いと感じるのは筋トレをせずに1日を終えた時だ。布団に入っても、眠たいはずなのに寝付けない。結果的には毎日睡眠は問題なく取れているからいいのだけど、その積み重ねが大きい。1日が終わって布団に入る時に、今日自分に出来ることは全部やり尽くしたと言い切れる夜にはすぐに心地良い眠りが訪れる。いつ自分が眠ったか、次の日の朝に何となく思い出せるくらいだ。

 人間の姿形、そしてこの肉体は一定の状態で永遠に留まることはない。時計を見て時間が進んでいることを確認するように、肉体も時間の経過で変化していく。その肉体の変化が一定の状態を過ぎると取り返しの付かないことも出てくるかもしれない。現在のように社会全体で優先順位を考えなければならない状況だと、全ての人の希望を同時進行で叶えるということが難しくなる場合もあるだろう。もう充分過ぎる犠牲が出ているというのに、まだこれ以上苦しむ意味などあるのかと問いたくなる。

 時は金なり。今ならその意味が分かる。時間があれば知らないことを知る為に本を読める。時間があれば身体を動かして汗を流せる。時間があれば人と会って話が出来る。時間があれば「ありがとう」を誰かに伝えることが出来る。そして出来ることを考えながら何もせずに時間を浪費していく。時間とは時計の針の動きではなく、変化していく心と身体の途中経過でもなく、可能性を秘めた黄金のようなものだ。

 時間は戻らない。そのことをもっと若い頃から強く意識していればと一旦思う。その後で、変えられないことを思っている時間は果たして金になり得るかと考えた。なり得ないだろう。ならどうするか。過ぎた時間は戻らないということを認識した瞬間から、既に黄金は僕の手に握られている。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

トレーニング

前の記事

ささみ、豆腐
未分類

次の記事

昔も今も、この先も