100
この投稿で、ブログを始めてからちょうど100回目になる。1回目から99回目まで、僕はずっと自分が書きたいと思うことや日々の生活で感じたことを書き続けてきた。100記事というのがひとつの目安になると色々なところで書かれていたり、解説動画で言っていた。100記事書けばひと段落、とはいかない。100記事書くことが目的ではないから。もし僕がものを考えない魂の容れ物になってしまったら何も書けないかもしれないが、今のところはそれはなさそうだ。
何の因果関係もないが、今又吉直樹の『東京百景』というエッセイを読んでいる。まだ読み終わっていないので詳細は省きたいが、彼が上京してからの生活の中で印象に残っている風景や出来事を東京の街並みと共に綴っている。家にいる時間が長くなり、自分の足で今までのように外に出掛ける機会を減らさざるを得ない状況になると、思考はなぜか自分の内面に向かって降りていっているような気がする。本を読むのも、内面の深いところまで潜る手助けになると思っているからだ。
もう何度も考えた。考え過ぎて苦しい。でもこの苦しさは誰のせいでもないから仕方ない。このまま東京で暮らすか、実家に帰るかという押し問答。「実家 長男 帰らない」とネットで検索したことが何度もある。自分と同じような状況の人間がどこかにいて、きっとすっきりする解決策を提示してくれることを期待していた。結果的には、実家に戻る人もそうでない人も両方いるようだ。実家に帰らない人もいることを知ってそれで一安心したいところではあるけれど、そこには自分自身の意志が全く含まれていないような気がして気持ちが晴れることはなかった。
僕は東京の街が好きだ。雑多で統一感がなく、そこで生活する人達も様々だ。それによってもたらされる懐の深さと、人間の拙さがあろうが許容してくれているような雰囲気を僕は感じている。田舎にあって東京にないものはもちろんあるとは思う。でもたくさんあるかと聞かれたら、僕はそうは考えない。東京にだって綺麗な川は流れているし、桜の木々がその沿道を埋めるようにして並び、子ども達の笑顔が眩しく煌めいている。大人達は何者かになろうと、人生を賭けて事をなそうとしているし、自らのペースで毎日着実に生きている人達もいる。いかにも人間らしく。
僕はこれまで、両親にかなり自由にしてもらってきた。だからこの際もう、最後まで自由に生きていく。長男は実家から出ても、最後は戻らなければいけないのか。実家に戻らず、自分の生活したい街に住み続けるのは許されないのか。そもそも誰に許されなければならないのだろう。自分勝手だろうか。親不孝だろうか。誰かにそう言われたとしても、僕は自分の気持ちを偽って生きてはいけない。
今日までこのブログを読んでくれた皆さん、ありがとう。そしてこれからも書き続けるのでよろしくお願いします!