公園から見る月、1Q84

 空に浮かぶ月を最後に見上げたのはいつだったろう。最近は自分の足元ばかりに注意がいっている気がする。自分の直近の心配や予想が頭を埋めてしまっている。4月も後半に差し掛かっているのに、空は中々気持ちよく晴れてくれない。雨が降っていなくても、何となく皆の顔に不安の色が見えるような街の景色だ。ニュース番組をこんなに見ることは今までなかった。日々の変化に一喜一憂して浮き沈んでいても、物事は何も変わらない。

 探し物は案外、自分が思っているよりも近くにあるかもしれない。灯台下暗しと言うけれど、それは探している間にあちこち場所を移動していたわけではなかった。心と身体に正直でいればとても近くに感じることができるものだった。主人公・青豆と天吾は同じ空を見つめている。浮かんでいる大小2つの不思議な月を。偶然なのか、それとも運命の邂逅なのか。村上春樹の「1Q84」で物語は不思議な世界の謎と、迷い込んだ2人の役割に迫って行く。

 青豆が最後の仕事として、亡き者にするはずだった男は自らの死を望んでいた。そして彼女と天吾の行く末を左右する重要な取引を迫る。リトル・ピープルと世界との関係が少しずつ露わになり、青豆自身も彼らの影響力を肌身で感じることになる。いずれ顔も名前も変えて姿を消すことになっていた青豆。それまでの一時的な隠れ場所として用意された部屋のベランダから2つの月を見つめている。そして眼下の公園には同じように月を見上げる天吾の姿があった。

 天吾は小説「空気さなぎ」の元になった物語を語った少女を匿っていた。天吾はこの1Q84年で、世界の鍵を握る重要な役割を担っていることを少女と過ごす時間の中で見出す。天吾の父親が入居している療養所から連絡を受けた。内容は父が昏睡状態になっているという知らせだった。天吾はすぐに海辺の療養所へ急ぐ。父親はもう目を開けてはいなかった。医者の見立てでは、特に医学的な問題は見受けられないと言う。敢えて言うならば、本人がこれ以上生きる意思を自ら放棄しているような状態。天吾は何も言わない父親に疎遠になって以降、自分がどう生きて来たかを包み隠さず話したのだった。

 「1Q84」には、不思議な物体が登場する。作中ではさなぎという言葉を使っているが、きっとそれはわかりやすくする為にそう言っているんだろう。本質的にはそれは世界を繋ぐ通路のような物であり、また人間の形をした出入り口の役目を果たす生き物が眠っている。リトル・ピープルは、今のところ僕の見立てでは、自分達の都合のいいように世界を動かそうとする力だと思われる。そして大抵の物語がそうであるように、その力に対抗する別の力も現れる。そして結果的に世界のバランスを保とうとする。

 人々の不安が世界を暗い方へ導く力なら、信じるということは明るい方へ導く力。

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