世界を構成するもの、1Q84
一筋の光もない完全な暗闇の中では、他者はおろか自分自身の姿さえ目で捉えることはできない。目を開けられないほどの空間を埋め尽くすような強い光の中では、色も形も見分けられない。世界は光にも闇にも寄り掛からず微妙な均衡を保ちながら形を成している。暗い部屋で、その大柄で筋肉質な男は静かに主人公・青豆に語りかける。彼女がどれだけ強く否定したところで、どれだけそれを強く望んでいるかを示している。今までの世界ではないと知ってもなお、彼女は心を決めて前に進まなければならない。
村上春樹の「1Q84」を読んでいる途中。家にいる時間が長くなったが、まだしばらくは状況は変わりそうにない。本を土曜日から読み始めて中盤に差し掛かり、物語の核心に触れようとしている。浮き彫りになった謎が少しずつ明らかになることで、バラバラになっていた破片がひとつに繋がっていく。そして物語は主人公達に世界の本当の姿を露わにしようとしている。
もうひとりの主人公・天吾。幼い頃の記憶に時折苛まれながら、細々と小説を書き続けている。17歳の少女が作った物語を小説として書き直したことで彼の身の周りにも変化が起きる。その変化は彼自身の書く新たな小説の世界にも色濃く反映されているようだ。彼がいる世界はもうそれまでの1984年ではなく、月が空に2つ浮かぶ1Q84年でしかない。
天吾にはしばらく会っていない父親がいた。ずっと彼を苦しめている陰鬱な記憶の真実を明らかにする為に、2年前から全く顔を見せていなかった父親に会いに行った。海辺の街、父親は療養所で記憶を少しずつ失いながら生活していた。天吾が語りかける言葉を理解しているのかいないのか確証は得られない。しかし彼の見せる態度は、むしろ言葉よりも雄弁に真実を伝えようとしていた。言葉では伝えられなくても、父親が示した真実は、充分に天吾の気持ちを前向きにさせた。
青豆はホテルの一室で、最後の仕事として消し去るべき相手と対峙していた。決して殺気に張り詰めた空間ではない。男の身体の不調に対症療法を試みるという程で、普段の仕事と何か特別違うことをするわけではないはずだった。しかし男から告げられたのは、青豆が20年前から密かにそうであったらと思い続けていたことだった。それと同時に青豆は自身と天吾の行く末を左右する重要な決断を迫られることになる。
物語の世界でも、僕が生きる現実の世界でも、世界を動かすのはいつも登場人物の選択と行動だ。この世界はひとつだけなのだろうか。「1Q84」を読みながら考えた。同じ空間に複数の人が生きているわけだが、自分と相手が身の回りの風景を同じように捉えているとは言い切れない。僕の主観は僕だけのものであって、それとは違う主観が別の人物には必ずあるはずだ。この世界は何でできているのか。異なる幾つもの主観が重なり合う場所、それを僕らは世界と読んで共有しているんだと思う。